離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

何故僕は離島の働く教会長になったのか?③

皆さんこんにちは!!

 

離島の働く教会長です!!

 

 

今回は僕の生い立ちシリーズ第3弾‼︎

学生時代も終わり遂に世間の荒波に漕ぎ出しますよ〜

 

 

目次

 

 

 

【社会人時代】

 

 

 

学校を卒業した僕は広島県にある某造船会社に就職することになります。

 

 

え?? 船乗りさんじゃないの?

 

 

って思う人もいると思いますが、その理由はシンプルに 船乗りさんになりたくない と思ったからです!

 

で  じゃあ就職どうするの?って

なったとき、せっかく船の専門学校出たんだから船関係で探そうと思っていろいろ当たって採用されたのがそこだったんです。

 

 

就職してからは会社の寮にお世話になることになります。もちろん おつとめ もしなくていい。天理教の行事にも参加しなくなります。

僕はとうとうあの 伝家の宝刀 を手に入れたのです。それは、

 

 

あ、無理!仕事あるから!

 

 

この宝刀の切れ味たるや半端ないです。

 

スパ、スパ切れます。スパ、スパ

 

 

実際、仕事なんて休もうと思えば休めるんです。確かに絶対休めないシチュエーションもあります。でもそういう状況はだいたい3割くらいでしたね。あとの7割は休めたのに休まなかった。理由は、行きたくないからです。

 

本当に気持ちがある人は、振り下ろすことを躊躇します。何の躊躇もなく振り下ろす人は

 

行きたくない!!

 

ただそれだけです。

 

 

そんな生活が4年くらい続きました。

毎日、仕事に明け暮れ、同じような日を繰り返す日々。そして考えはじめます。自分がこの世に存在している意義を...

 

自分は何を成す為に生まれてきたのか?

 

 

僕の経験や僕の周りの人たちの話しから思うに、人間って20代中盤〜30代前半くらいの年頃は、

 

 

自分はこのままでいいのか?

 

自分は何の為に存在しているのか? 

 

自分はどこへ向かえばいいのか?

 

 

みたいな哲学的なことを考える時期みたいです。

(特に男子は 笑)

 

 

僕もそういう事を考えはじめる年頃になっていました。

 

そんな時、ある講習会への募集がかかりました。10年に1度やってくるその講習会の名は

 

 

後継者講習会!!

 

 

漏れなく僕にも声がかかりました。脳の中が 哲学的 になっていた僕は、その答えを求めて 講習会に参加してみる事にしました。

 

 

前回の後継者講習会では年代別で班編成されていたけど、当時僕が参加した講習会は20〜40歳までの年代がごちゃ混ぜで班編成されていました。そして、その中で僕は幅広い層の天理教に対する考え方に触れることができました。

 

 

正直、僕自身それまで、そんなに真剣に 天理教 に向き合ったことがなかったので、その空気感はかなり新鮮でした。そして何より、僕が今まで感じた事のない 天理教 がそこにはありました。それは 信仰  でした。僕はそこで 天理教の信仰 に触れました。その中で、もっとこの教えを学びたいと思いはじめます。そして、あの決断をします。

 

 

「修養科へ行こう!」

 

 

その想いをに打ち明けます。

 

は言いました。

 

 

はぁ?修養科?そんなもんいかんでええ!!

 

・・・

 

そう、僕のお父さんは 信者 であるけれど、信仰者 ではなかったのです。それは薄々気づいていました。しかし、それなりの 信仰心 はあるだろうと思っていました。その認識は間違っていました。

 

 

一喝です‼︎  悶絶です!

 

 

そのあらゆるものを 超越 した回答に

 

あ、そうですか!

 

 

としか言えず僕の修養科行きは見事に流れたのでした。

 

 

それから1年くらい造船会社にお世話になりました。しかし、部署異動となり、自分の中で仕事での折り合いが悪くなっていき、結局造船会社を退職することになります。

 

 

【修養科】

 

 

それに伴い改めて修養科への声掛けをいただき、僕は修養科に入る事になります。そして、僕は今までの人生感が変わる出逢いをするのです。

 

僕はその修養科で自分のそれからの人生に大きな影響を与える2人の方と出逢います。

 

 

1人目は、同じ大教会から修養科に入っていた部内教会の後継者K君。

 

 

もう1人は、別の大教会から夫婦で修養科に入っておられたMさんです。

 

Mさんは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難しい病気を患っておられ今の医学では完治は難しいと言われていました。全身が不自由だったので車椅子での生活でした。

 

 

はじめて会った時の印象はどんよりです。死んだ魚のような目 という表現がありますが、それはまさにこの事か!!と思えるほど生気がない。身体は生きているけど心は死んでる。そんな感じでした。正直、それまでの人生の中でそんな境遇の方と触れ合った事もなかった僕にはなかりの衝撃でした。

 

1ヶ月目はそんなどんよりな感じで過ぎていきました。

 

しかし2ヶ月目、Mさんに変化が現れます。周りの方々と少しずつ会話を持つようになっていました。どんよりな感じも少し柔らいでいるように感じました。

 

そして3ヶ月目、Mさんは冗談を言って笑うようになっていました。どんよりな感じもなく、そこには確かに生気に満ち溢れたMさんがいました。

 

病気が改善したとかそんな不思議なことは起きませんでした。しかし、Mさんは修養科に入ってきたときより明らかに  を感じていました。そしてそれを喜んでおられました。

 

 

 

僕はその姿に感動したのです!

 

 

生きることに絶望した人とどのように接し、希望を見いだすのか?その方法を僕は知りません。しかし修養科で 天理教 の教えに触れ、他の修養科生とのふれあいの中で、Mさんは生きることへの 希望 を見いだしたのだと僕は思います。

 

 

そして、その過程を目の当たりにした僕は天理教の教えの魅力に魅了されました。

 

 

修養科修了の日、涙ながらに ありがとう と言っていたMさんを僕は今でも鮮明に覚えています。しかし、Mさんからかけがえのない学びを得たのは僕の方でした。ならばあの ありがとう は僕が言うべき言葉だったのかもしれません。

 

 

この教えと精神は間違いなく世界を変える力を持っている。僕もその一助を担える人になりたい。そう思えるようになっていました。

 

 

3ヶ月目に入いると、修了後の身の振り方を考え出します。僕は完全に脳の中が 天理教 になっていました。しかし、何をどうしたらいいのか分からずにいました。そんな時、同じ大教会の修養科同期のK君が自分は布教の家に行きたいんだ!って話しをしてくれました。その話しを聞く中で僕は布教の家、なんか楽しそう!と思ってしまったのです。

 

僕は修養科中、ハマっていた本がありました。

東本大教会の初代 中川よし 先生の絵本、

 

おたすけおよしさん

 

です。なんか好きで何回も読んでいました。

だから布教師への憧れみたいなものもあったのかもしれません。

 

もし、あの時、K君が 布教の家に行きたい という話しを僕にしなかったら、僕は 布教の家 に行ってはいないし、教会長にもなっていないと思います。

 

 

布教の家に行きたい と上級の会長さんに伝えると喜んで、いろいろ段取りをしてくださいました。そして布教の家入寮まで上級教会で住み込み青年をすることになります。

 

 

修養科での生活は本当に多くの学びがあり充実したものでした。しかし1つだけ心残りがありました。それはMさんに おさづけ を取り次げなかったことです。その時、僕はおさづけを取り次がせてくださいと言える勇気がありませんでした。布教の家 に行くと決めた日からその事が心に引っかかっていました。

 

 

そんなある日、本部の月次祭に参拝するため前日からおぢばがえりをさせていただき、三殿を回っている時のことでした。教祖殿に入るとなんとMさんが居るではありませんか。僕はここしかないと思いMさんにおさづけの取り次ぎを願い出ました。Mさんは心よく承諾してくださり、おさづけの取り次ぎをさせていただきました。あれはきっと おやさま が会わせてくれたんだと僕は勝手に思ってます。

 

 

【布教の家】

 

 

3月、僕は布教の家大阪寮に入寮します。大阪寮での生活はかなり刺激的で楽しいものでした。いろんな問題も巻き起こりましたが、今となってはいい思い出です。

 

布教の家はいけるチャンスがあれば是非行くべきだと思います。それくらい尊い時間が過ごせます。

 

布教の家のいいところそれは

 

 

布教に専念できる!!

 

 

ってよく言われますが、これは本人次第です。てか布教に専念できない今の天理教のシステムを逆にもっと見直した方がいいと思います。 

 

僕が思ういいところ、それは

 

1、立場は関係なく付き合える

 

布教の家には教会本部関係のご子息から一般信者の子までいろんな境遇の人が一緒に生活します。これはなかなかないシチュエーションだと思います。その中で本部で育った人の価値観だったり、大教会で育った人の価値観だったりに触れる事ができます。これはかなりの学びになります。

 

2、先人、先輩方の足跡を辿れる

 

今の天理教はおやさまのひながたは言うまでもなく、先人、先輩方の通られた道の上にあります。時代は変わり、布教のスタイルも多様化している昨今だからこそ、オールドスタイルの布教活動を体験し先人、先輩方が通られた道を追体験する。その中でその思いや感性に心を馳せることはとても大切なことだと思います。

 

3、1人じゃない。

 

単独布教は基本独りぼっちです。それは孤独との闘いでもあると思います。布教の道中には様々な問題や苦悩が発生します。それを全て1人で solve していくのは精神的にも肉体的にもかなりのストレスだと思います。しかし、布教の家は布教中は1人ですが、寮に帰れば仲間がいます。その仲間達とその日起こった出来事や布教中感じた事をねりあう中で気づきや問題への対処法が見つかったりします。同じ志を持つ仲間の存在は大きいです。

 

近年は布教の家の入寮者も減少しているようです。布教の家はそんなハードル高くないと思います。僕は1年間、本当に楽しく尊い時間を過ごさせていただき、素晴らしい仲間に巡り合わせていただきました。是非皆さんにも布教の家での生活を体験していただきたいと思います。

 

いや〜 変わりましたね〜

 

 

すっかり天理教信仰者 になってしまっています。人間変われば変わるもんです。子供の頃、あんなに 天理教を嫌っていた人 とは思えないですね(笑)

 

どんな人でも、旬は必ず来ます。

 

その時は神様がいろいろ段取りして待っているんだと思います。しかし、それがいつ来るのかはわかりません。だから焦らず、気長にでもサボらず、確実な歩みを進めていける人でありたいですね!

 

今回はここまでにします。また次回です。

 

ありがとうございました。