何故僕は離島の働く教会長になったのか?④
皆さんこんにちは!!
僕の生い立ちシリーズ第4弾です!!
それでは参ります。
目次
【神殿普請】
布教の家大阪寮を卒寮した僕は、上級教会長さんの勧めもあって、1年間、上級教会に住み込むことになります。そして、僕が布教の家で布教に歩く日々を送っていた頃、僕の所属する教会では大きな旬を迎えていました。それは、
教会普請!!!
正直度肝をぬかれました。本当に細々と日々を送っていた教会だったので、そんな力があるのか?って思いました。しかし、もう既に土地も購入し、普請に取りかかる準備は万端でした。
まぁしょうがない!やるしかないよね!!
僕は、そう思う事にしました。
最初に僕は教会の子ではないと紹介しましたが、実は当時の教会長は僕の祖母でした。教会事情から一時的に教会を預かる形で教会長になったのですが、ある事情から後継者に定まっていた人が失踪!所属教会は完全な事情教会になっていました。
神殿普請は順調に進みました。やっぱり新しい神殿ができていくのはワクワクします。その頃僕は世間働きをしながら天理教の御用もする。そんな日々を送っていました。
神殿落成奉告祭も間近に迫ってきたある朝、父から電話がかかってきます。
ばあちゃんがくも膜下出血で倒れた!3日がヤマかもしれない!
ドラマとかでよくありますよね!こんなシーン!
僕もその時はあまりの衝撃に ドラマや!
って思ってしまいました。
僕はその当時まだ島には住んでなかったので、すぐ上級教会に行き、お願いづとめをさせていただきました。
そして次の日、病院に行き、ICUに横たわる祖母におさづけのお取り次ぎをさせていただきました。
これからうちの教会はどうなるのだろう?
奉告祭はどうするの?
借入金の返済は?
次の会長さんどうするの?
そんな考えが無意識に頭の中を回っていました。それから僕は毎日おさづけに通いました。
そして、神殿落成奉告祭当日、そこには祭文を奏上する祖母の姿がありました。
あれから、祖母は驚異的な回復をみせ、見事に復活したのです。医者もびっくりするほどに‼︎
祖母がくも膜下出血になったのは奉告祭の2週間くらい前でした。当時祖母は83歳!普通に考えて、先ず奉告祭で祭文を奏上するなんて無理だと思います。しかし、現実は奏上できちゃってました。やっぱり神さんっておるんじゃな〜って思います。
神殿普請はいろんな奇跡を運んできます。祖母のエピソード以外にも今まで別席を断り続けていた人が別席を運んでよふぼく になったりしました。1番びっくりしたのは奉告祭の1年前に未信者の家から嫁いできた僕の弟の嫁さんが よふぼく になって当日、笛を吹いている僕の横でちゃんぽんを叩いている事でした。それも譜本も見ずに!こいつやりおるな〜 って感動しましたね!
【帰島】
神殿落成奉告祭から1年くらい経ったある日、父 から電話がかかってきます。父 から電話がかかってくる時はあまりいいことはありません。
内容は父 が勤務している船舶会社が人手不足だから手伝ってほしいという事でした。いろいろ考えましたが、これも親孝行だろうと思い、僕は島に帰ってその船舶会社に就職することにしました。
【後継者】
島に帰ってからも仕事の合間をぬってにをいがけ や 天理教の御用 をする生活でした。それから3年くらい経つと祖母が体力的にも精神的にも辛くなってきたのでしょう!もう会長は続けられない!と弱音を吐きはじめます。
さぁいよいよ後継者を定める 旬 がやってきます。祖母には5人の子供がいました。うち2人は夭折されています。だから今存命なのは3人です。僕の父の兄、父 、父の妹 です。父の妹 は結婚されて県外に住んでおられます。伯父は県内に住んでいて、よく島にも帰ってくるし、月次祭もつとめられます。
順当にいけば 伯父と父 、この2人が後継するのが1番丸く治るのでしょうが、この2人、全くもってやる気がありません。伯父なんてほんとに皆無でしたね。厳密にいうと教会で生まれ育った子が二桁いるんですが、彼らは皆、教会から遠のいていました。後継者問題は見事に 頓挫 しました。
月次祭のたびに話し合いの場が設けられますがいっこうに話し合いは前には進みません。
そんなある時、上級会長 さんが僕に話をフリました。
布教の家もでとるんだし、離島くんどうかな?
僕はその話を受けることにしました!
一瞬、場は凍りつきましたが、ほんとに一瞬でした。それからはトントン拍子に話が進んでいくことになります。
僕がこの話を受けようと思ったのには理由がありました。それは初代会長さんの想いに触れる機会があったからです。
【初代会長】
初代会長は幼少の頃、事故で右腕が不自由になります。当時は障害者への理解も低く、かなり過酷な幼少期を過ごされたようです。
ご両親も早くに出直され、天涯孤独の身となります。それを不憫に思われた親戚から山の土地を分け与えられます。
その山をほぼ1人で開拓し、そこに住居を構え、細々と生活をしていたようです。
そんなある日、1人の布教師がその山を訪れます。そして、にをいがかかり信仰をするようになります。
はじめは右腕を御守護いただきたくて信仰をはじめられたようですが、教えに深く交わるうちに、教えの魅力に魅了され、お道の上に真実いっぱいに伏せ込まれます。初代会長さんは別席を満席まで運びますが、右腕が不自由でお手振りができない為、おさづけの理は拝戴できなかったようです。多少の落胆はあったようですが、心倒すことなく、にをいがけ、おたすけ に歩かれたようです。そんな姿に、当時の上級会長さんが尽力してくだされ、満席から16年後に、特例的におさづけの理を拝戴されます。
初代会長さんが所属していた布教所が後継の事情となった時、その布教所を受け継いで布教所長となられます。
そして、熱心ににをいがけ、おたすけに歩かれ、その中に段々と人が寄り来るようになります。
そんな折、上々級の教会が分離昇級することとなり、それに伴い、布教所を教会に昇級するよう声がかかり、教会の理 を許されることとなるのです。
上級教会で住み込みをしていた時、所属の教会が教会になったとき、初代会長が教会本部に提出された決意文のようなものを読ませていただく機会がありました。
そこには、幼少期の頃の思い出や苦悩、お道の教えに感銘を受け、伏せ込みやにをいがけ、おたすけに勇んで奔走される心情、おさづけの理は拝戴できなくとも、別席を満席まで運ばせていただけた喜び、親神様、おやさまの望まれる陽気ぐらしへの想いが、本当に綺麗な字で丁寧に綴られていました。
そして僕は先人、先輩方のそういう意思の上に 教会の理 が許されていることを知ります。
そして、こういう意思を汲み取れない人間にはなりたくないと思ったのです。
そういう想いから僕はこの話を受けることにしました。
僕たちの人生の主役は僕たちです。しかし、僕たちの誕生の裏には数多の人間の人生模様が複雑に絡み合っていると思います。その結果として僕たちはこの世に誕生し、自分の人生を送っています。
人間の一生には限りがあります。だからこそ人間は意思を残すのでしょう。
その残された意思をしっかりと受け継いで次の世代に良い形でバトンを渡す。それが生きていくということだと思います。
僕たちは先人、先輩たちから 陽気ぐらしへのバトン を渡されています。そのバトンを良い形で次の世代に渡せるような通り方をしていきたい。
そう思います。
今回はここまでにします。
次回はいよいよ離島の働く教会長が誕生します。(笑)
それではまた次回です。
ありがとうございました!