離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

僕の教理研究 番外編

皆さんこんにちは!!

 

僕です!!

 

今回は僕の教理研究シリーズ 番外編!!

 

テーマは 守護  加護 の違いです!!

 

質問をいただいたので僕の思案を紹介します。

 

それでは参りましょう!!!

 

目次

 

 

【加護】

 

加護の言葉の意味は、

 

神仏の力で災いや苦難から守られること。

 

だそうです。

 

この考え方は 災い や 苦難 が神仏以外の力によって引き起こされている事が前提なのだと理解します。

 

例えば、悪霊、悪魔、鬼、妖怪  などの外的作用によって人間は苦しめられている。という考え方だと思います。

 

神仏 の力でそれらから守られることが 加護 なのだと解釈します。

 

【守護】

 

守護の言葉の意味は

 

守ること。 だそうです。

 

凄いシンプルですよね!!!

 

天理教では 加護 ではなく、守護  という言葉が使われています。それはこの世に起こってくる事は全て天の理により起こってくるという考え方だからだと考えます。

 

この世で起こることは全て 天の法則 支配下にあり、良き法則に乗れば良き人生となり悪しき法則に乗れば悪しき人生となる。

 

 

 

その法則を説き明かされているのが天理教の教えです。そして、良き法則に乗るも悪しき法則に乗るも全ては人間の心次第だということです。親神様の思惑に沿った法則を守るからこそ守られる。

 

外的作用ではなく内的作用によってもの事が起こってくる。全ては、親神様の法則の中にあって、悪霊、悪魔 などの仕業ではない。

 

だから、加護 ではなく 守護 なのだと解釈します。

 

親神様 が人間を御創造されたのは、人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむ為です。

 

おふでさきに

 

 

月日にわにんけんはじめかけたのわ

よふきゅさんがみたいゆへから(14-25)

 

と歌われています。

 

そして、この世に起こってくる事は 親神様 が陽気ぐらしをせき込まれる故からです。そこには、親の深い思惑があります。

 

おふでさきに

 

 

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも

これわ月日のざねんりいふく(8-58)

 


なんどきにとのよな事をきいたとて

これハ月日のざねんりいふく(12-87)

 

と歌われています。

 

決して 悪魔や悪霊 の仕業ではない。人間の 心の成人 を望まれる 深い親心 があるのだという事をしっかり心に治めて日々精進したいと思います。

 

 

どうでしょうか?

 

正直これが 僕の限界 です!

 

希望に沿えなかったらごめんなさい!!

 

ご拝読ありがとうございました。