離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

僕の独り言!!

皆さんこんにちは!!

 

日曜日の夜、いかがお過ごしですか?

だんだんと日差しも強くなってきて、夏の匂いを微かに感じます。

 

今回も独り言を自由に綴っていきたいと思います。どこに着地するか分からないですが、とりあえず飛び立ちます。たまにはこういうのもいいでしょう!(笑)

 

昨日、芦津大教会 の130周年記念祭にスタッフとして参加させていただきました。

 

その帰りの車内である教会の会長さんと話しをさせていただく機会がありました。

 

その中で、少年会活動 についての話題になったんですけど、僕が担任させていただいてる教会は、少年会活動 って活動はしてなくて、相手の会長さんも同じ感じだって話してて、そこはまあこれからできるようになっていきたいね! って話しになったんです。

 

そんな話しをする中で、今までの 少年会活動 って確かに、子どもたちを集めて、教理の話もして、それなりにワイワイなって 大人たち も満足して、少年会活動 やってますって 大教会 や 本部 に報告して、なんかやった感を感じてそれでいいんだみたいな雰囲気を僕は感じてたんです。

 

それはそれで、素晴らしい活動だと思うんですけど、なんか違うよねって話しになったんですよね。

 

僕は小学生の時 大教会 の鼓笛とか 上級教会 雅楽とかやらされてて、確かに 大人たち からしたら、少年会活動、うちはこんなんやってます!! て感じでそれなりに充実感もあって良かったと思うんです。

 

でもやらされている 子どもたち ははっきり言って何の充実感もない、ただやらされてるだけの活動だったんじゃないかな?って思うんです。

 

自分たちの意思とか関係なく、大人たち の言われるままにやってた。少なくとも僕はそうでした。そんな 少年会活動 で信仰の喜びとか素晴らしさとか 子どもたち が感じれるのか?ってなったらそれは 無理 だと思うんです。

 

少年会活動 って 子どもたち に教えにふれてもらって喜びとか素晴らしさとかを感じてもらう為にする活動だと思うんです。しかし、大人たち の事情で 子どもたち を振り回しているケース、そしてそれで 大人たち が満足しているケースが往々にしてあると僕は感じます。

 

その結果、子どもたち に喜びとか素晴らしさとかを感じてもらえない、寧ろ苦しみとか、辛さを与えてしまって信仰から距離を置く人たちも少なくはないと僕は感じます。

 

大切なことって 伝えようとする事 じゃなくて、感じてもらう事 なのかなと思ったりします。感じてもらえるようにどうすればいいかを考えながら 子どもたち と接していれば、特に行事としての 少年会活動 を無理にやる必要はないのかな?と思ったりします。

 

もちろん行事としての 少年会活動 は大切だと思う気持ちはあります。ただ気をつけないといけないのは 大人よがり な活動をしないということだと思います。

 

そして僕が一番思う事は 育てる という意識よりも 共に育つ という意識が大切なんじゃないかな?と思います。僕たちはまだまだ未熟です。だからこそ 共に育つ そういう意識、その意識の中でお互いが成長できる環境ができていくのかも?と思ったりします。

 

最近は 縦の伝道、後継者の育成 の声が上がり、そういう流れになってきていますが、ただ 活動する という目先の形にとらわれることなく、しっかり 子どもたちに寄り添って、感じてもらう為の動き をしていきたい。

 

そう思います。

 

今回はテキトーに思っていることをダラダラと綴らせていただきました。

 

とりあえず無事着地できたと思ってます。(笑)

 

ご拝読ありがとうございました。