離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

情報化社会!!

皆さんこんにちは!!

 

西日本も梅雨入りしましたが、僕の住んでいる地域はその割に雨が降らない今日この頃です。

 

皆さんの地域はどうですか?

 

さて今回は 情報化社会 をテーマに僕が感じることを書きたいと思います。

 

昨今、本当に多種多様な情報が簡単に手に入ると言うよりも勝手に流れ込んでくる時代になりましたよね。

 

特にSNS(Social Networking Service)の普及による情報拡散のスピードたるや

 

マジぱねぇ〜!!

 

って感じです。

 

いろんな情報を容易に共有でき、また自分の意見や感情を手軽に簡単に発信できるSNSは本当に便利なツールだと思います。

 

しかしその反面、使い方によっては世界の流れを歪ませたり、人の心を弄び、深く傷つけてしまう可能性があるツールでもあると僕は認識しています。

 

目次

 

 

喧嘩ファイト的議論

 

例えば、ある情報に対しての自分の意見や感情を簡単に公共のネットワークで発信できる。今まで専門家や評論家の専売特許だった行為が簡単にできてしまう。

 

それは、ある意味世の中を混乱させることになるのではないか?と思ったりします。

 

今までは、専門家や評論家と言われる専門知識や経験が一定以上あると認識されている、所謂プロフェッショナルな人たちで無ければ、公共的な場で発言する機会がなかった。

 

なのでそれぞれの専門家や評論家の意見が割れたとしても、知識や経験が一定以上ある中での議論となる為、ある程度のまとまりのある議論になっていました。

 

しかし、今はそんな専門知識や経験が無くても、容易に公共の場で自分の意見や感情を発言できます。

 

例えば同じ情報であっても、受け取り方は千差万別です。そんな意見や感情が大量に流れでて、入り乱れてしまったら、いったい何が本当でどれを信じればいいのか?が分からなくなる可能性があります。

 

僕のイメージでは、リングに上がる為にいろんな過程を踏んで試合に挑む、プロボクサー的議論から、ルールも秩序もない喧嘩ファイト的議論の時代にシフトしつつあるように感じます。

 

価値観の違い

 

また、SNS は多くの人たちと繋がれるツールでもあります。実際に会わなくても意見交換ができる。面識がない人同士であっても、同じ志や考え方を持つ人たちと繋がれる、思いや感性を共有できることは生きていく上で、学びになるし、励みにもなります。

 

しかし、その反面、自分と違う思想の持ち主とも繋がれるということでもあります。それもある意味良き学びになることもありますが、多くの場合はどちらが正しいのか?という議論に発展し、結果最終的にお互いがお互いを罵り合うだけになっているケースもよく見かけます。

 

個人の思想や考え方に関しては、どれが正しいとか間違えているという事は無いと僕は思います。人それぞれ育った環境も受ける教育も体験する事がらも得る経験も違います。なのでどちらが正しいという議論自体が言葉は悪いですが 愚行 だと僕は思います。

 

善悪という概念

 

最近は、本当に多種多様な価値観がそれぞれに認められる時代になりつつありますし、それはとてもいい事だと思います。

 

しかし、価値観の多様化は善悪という概念を曖昧にしつつあると感じます。確かに、見る側面によって善が悪になり、悪が善になるというケースは往々にしてあります。だから、価値観の多様化が善悪という概念を曖昧にすることは致し方ないのかもしれません。

 

しかしながら、ある程度の善悪を判断する共通のルールとか認識という枠組みをつくっておかないと世界の調和は保てないと思います。これは、道徳的な価値観においての話です。

 

結局、一人でこの世界で生きていくことは不可能だと僕は思います。直接的であれ、間接的であれ、人は自分以外の人と関わり合いを持つことになるし、その中で生きているという事実は本人が認めようと認めまいと紛れも無い現実です。

 

だからこそ、人と人との関わりを円滑にする為にも共通の道徳的な価値観は必要だと思いますし、特に不特定多数と簡単に繋がれる現代社会では、大いに重要視されるべきだと思います。

 

最後に

 

現代の日本は本当に豊かで平和な国になりました。それは、先人、先輩方の尽力と過去の反省を教訓により良い世界にしようと尽力し続けている方々の努力の賜物であると思います。

 

しかしながら、豊かで平和だからこそ起こってくる問題も多くあります。

 

昨今、色々なツールが普及し、世の中はとても便利になりつつあります。しかしながら、便利な世の中になるからこそ、その便利さが逆にあだとなるケースも往々にしてあると思います。

 

いくら便利なツールが開発され実用化され普及したとしても、それを有意義に使えるかどうかは使う人間に委ねられています。

 

今という便利な世の中だからこそ、僕たちは今一度人間の心の存在に向き合うべきなのではないかと思います。

 

人間の 心は自由 です。どんなに表現方法が発達しても結局 もと を辿れば 心 です。人間の行動は全て 心がもと です。だからこそ、その もと と向き合うことが大切だと僕は思います。

 

ご拝読ありがとうございました。