離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

体調を崩し気味の今だからこそ感じる事!

皆さんこんにちは!!

 

毎日、暑い日が続く日々、いかがお過ごしですか?僕は若干、体調を崩し気味です。

 

目次

 

 

かしもの、かりもの

 

体調を崩している現在、僕は かしもの、かりものの理 と向き合える状況にあります。元気な時は、正直それが当たり前になって、 かしもの、かりものの理 への意識が無いこともないですが、かなり薄いのは事実です。

 

身上にしるしをいただくという事を天理教では比較的、負の要素として捉えがちになる傾向が強いと感じます。しかしながら、今、体調を崩し気味な状況で僕が感じる事は、元気な状態に比べて、より深く かしもの、かりものの理 を意識し、向き合えていると感じます。

 

そして、かしもの、かりものの理 と向き合う中で、自分の心とも向き合う。ここ最近の自分の通り方を 八つの埃 に照らし合せながら省みる。それは心の成人の過程において、必要不可欠な時間なのだと思います。

 

本当に、人間の身体が かしもの、かりもの である。自分の意思でコントロールできる領域外の もの であるということをしみじみと痛感している今日この頃です。

 

身体が かしもの であり、かりもの であるからこそ、人の魂は陽気ぐらしへと近づいていくことができるのでしょう。

 

おさづけ

 

天理教の信仰者の中には、病気になるとその病気を隠そうとする人がおられます。それは教理の上から病気が自分の心使いの悪さや悪いんねんが原因であるという要素があり、それに対する後ろめたさがあるからなのだと思います。

 

しかしながら僕は、体調を崩したり、病気になるということに後ろめたさを感じる必要はないと思います。それはごく自然な現象であり、病気にならないということが不自然な事だと思います。

 

人間誰しも悪いんねんを持っているし、八つの埃も心も使います。だからこそ 天理教 の教えがあるわけだし、大切な事は悪いんねんや八つの埃の心使いとどう向き合っていくのか?ということだと思います。

 

そして何より おさづけ をしっかり受けてほしいと思います。体調を崩したり、病気になるからこそ、おさづけの理 お渡しくださっているのだし、おさづけ の取り次ぎほど親心を感じられる行為はないと、体調を崩し気味の今、僕は感じています。

 

今月の上級教会の月次祭の時、上級教会の役員先生に おさづけ を取り次いでいただきました。その最中、なんとも言えない温かさを感じ、今までに感じた事のない感動を感じさせていただきました。おやさま の親心と取次人の温かさに優しく包まれるような不思議な感覚でした。 

 

おさづけ を取り次ぐ事、それは よふぼく が よふぼく たる所以ですが、体調を崩したり、病気になった時には是非、積極的に おさづけ の取り次ぎを受けてほしいと思います。

 

最後に

 

身体は親神様からの かりもの です。だからこそ大切に使わせていただく必要があると思います。体調が悪い時や病気になった時は無理せずしっかり、ゆっくり休養を取ることが必要だと思います。そして、あまり無理な使い方をしないようしっかり管理させていただきたいと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。