離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

生きているという事の価値!!

呼ばれてないのにジャジャジャジャ〜ン!!!

 

皆さんこんにちは!!

 

久しぶりにブログを更新していこうと思います。

 

今回のテーマは 生きているという事の価値!! です。

 

自分が思っていることを自分なりの感性で綴っていこうと思います。

 

よろしくお願します。

 

目次

 

 

生まれるという事

 

先ず、生まれるという事 について考えていきたいと思います。

 

何でもそうだと思いますが、何かがこの世に生み出される時、生み出される側の意思は100%関与しないと思います。

 

僕は何月何日にどこどこに生まれ出ます。

 

なんて自分の意思でこの世に生まれ出たって人はいないでしょう。

 

何かがこの世に生まれ出る時、関与する意思は生み出す側の意思です。

 

僕の知る限り人間は例外なく男と女の営みによって生まれます。僕はそう認識しています。つまり人間が生み出される時、関与するのは親となる男女の意思です。

 

しかしながら、人間は親となる男女の意思だけで生み出されるものではありません。その意思があり、営みを行ったとしても、生み出される確率は100%ではないからです。

 

そう考えると人間がこの世に生まれ出るという事には、第3者的な意思が関与していると感じずにはいられません。

 

生かされている

 

人間が生まれ出た時の最初の状態は 赤ちゃん です。誰しも例外なくこの状態からスタートします。

 

赤ちゃん の状態の時、それは 自分の意思に関係なくこの世に存在している状態!! と言えると思います。また、これから先の人生、つまり順調に育っていくかどうか?ということについても、赤ちゃん の意思は関与しません。それは 赤ちゃん 自身以外の者の意思に委ねられます。即ち生かされている 状態です。

 

しかしながら、この 生かされている 状態は 成人 してからも続いています。成人 するにつれて、人生の中で自分の意思が関与する事項が増え、非常に認識し辛くはなりますが、人間の人生には自分自身の意思に関係なく起こる事であるにも関わらず、自分の人生を大きく左右する事、それは例えば病気であったり、事故であったりが往々にして起こるからです。

 

僕には小学生の姪っ子がいますが、彼女がまだ2歳の時、電車に跳ねられる事故に遭いました。幸い彼女は命が繋がり、後遺症もなく今も元気に生きています。

 

僕の姪っ子の事故から数ヶ月後、隣の県で同じく2歳の子が電車に跳ねられた事故の記事をネットで見かけました。その子は亡くなったと記事にはありました。

 

この差は何なのか??

 

この問いに答えを出せる人はいないでしょう。それは人間の領域を越えたところに答えがあるからだと思います。

ただ確実なのは、僕たちはこういう世界で生きているという現実。それだけです。

 

生かされていることに感謝する

 

生かされていることに感謝する という言葉をよく聞くし、自分もよく使っています。しかしこの言葉を実感し、感謝することができるのはある条件が必要だと思います。それは 生に価値を見出せしている。ということだと思います。

 

生に価値を見出せていない 人にこの言葉を使ってもその感覚を理解できないと思います。

 

この世界に存在しているということに価値を見出せないのはそれなりの理由があるのでしょう。しかし最も大きな要素は思考の癖だと思います。

 

つまり、思考の癖を変えることができれば、生に価値を見出せる のではないかと思います。

 

思考の癖を変えるには 感性 を磨くことが大切だと思います。そして色々な もの とのふれあいの中で 感性 は磨かれていくのだと思います。感性 を磨く事で今まで気づかなかったことに気づけるようになります。そしてその 気づき は心を豊かにしてくれます。

 

人との関わりの中で

 

人が存在しているということ。ただそれだけでその人の存在には大きな価値があると僕は思っています。何故ならその存在により周りの人に影響を及ぼしているからです。

 

例えば、親子関係にしても、お互いがお互いに影響し合っています。そしてその影響の中で色々な感情を抱くと思います。幸福感や優越感、悲壮感や劣等感。ただそこに存在しているだけで他に影響を及ぼし、心を動かす。それはとても凄い事だと思います。他に影響を及ぼす。ただそれだけで存在している価値は十分にあります。僕はそう思います。

 

生の根源は愛

 

何かがこの世に生まれ出る時、その根源には必ず 愛 があります。愛 なくして、何かがこの世に生まれ出るということはないでしょう。そしてそれは人間にも当てはまります。つまり僕たちがこの世に存在しているそれ自体が 愛 そのものなのです。愛 はこの世で最も美しい感情だと僕は認識しています。そしてその 愛 を具現化している僕たち人間も美しい存在だと思います。

 

もし何かに絶望し、生きる価値を見出せなくなった時は、生の根源にある 愛 を意識してほしいと思います。愛 は もの を生み出すパワーです。そこにあるのは 希望 です。もしあなたが絶望感に苛まれているなら、それは自分の創り出した幻想です。

 

最後に

 

最後のほうはかなり濃ゆい感じになりましたが、自分が今この世に存在しているということに、自分の意思は関与していません。それは即ち与えられているということです。そして与えられているということには必ず意味があります。

 

もしあなたが生きているという事の価値を見出せないのなら、その意味を意識してほしいと思います。

 

無意味な存在などこの世にはない。僕はそう信じています。

 

ご拝読ありがとうございました。