離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

「徳」とは何なのか?を考える。

皆さんこんにちは!!

 

今回は、徳  について考えていきたいと思います。

 

目次

 

 

徳という概念

 

徳 って一体何なんですかね?天理教内でもよく使われる言葉だし、教外でも使われる言葉だけど、何ですか?って聞かれると困ってしまわないですか?

 

イメージとしては、運命を切り拓く為に必要なものみたいな感じはしますが、なんか漠然としてますよね。

 

徳 の言葉の意味は、

 

身についた品性。社会的に価値のある性質。善や正義にしたがう人格的能力。
 
広く他に影響を及ぼす望ましい態度。のり。おしえる。めぐむ。

 

らしいですが、これもイマイチピンとこないんですよね。

 

教内では、この 徳 って言葉は、自分の人生をよくする為に必要なものとして説く場合が多いですが、徳 が人生にどのように関わり、影響を与えるのかはかなり曖昧だし、徳 という概念自体も曖昧だから、「徳を積む」とか言われてもどういうことなのかスッキリ理解できないし、「徳がある」とか「徳がない」とか言われてもそれを判断する要素は何?って感じです。

 

徳がある人、徳がない人

 

教内では、「あの人は徳がある」とか「徳がないからそうなるんだ」みたいな事を聞いたりします。周りが羨むような状況にあるような人、例えば 有名な大学に入ったり、素晴らしい人と結婚したりする。そういう人に向けられて「徳がある人」と言ったり、事情や身上の障りで苦労されている人に向けられて、「徳のない姿」みたいな表現をしたりする人がいます。

 

しかし、僕は、有名な大学に入ったのは、親神様の御守護の下でその人が努力したからであると思うし、誰と結婚するかなんて 縁 の要素がかなり大きいと思うんですよね。有名大学に入った事が原因で苦労する人もいると思うし、素晴らしい人と結婚したからと言って、その後の人生安泰か、というとそうでもないと思うんですよね。

 

そもそも 徳 ってそんな人生に直接的に影響するんですかね?僕はもっと間接的に影響するもんなんじゃないかと思うんですよね。徳積み って表現するって事は自分自身の力になっているって事だと思うんですよね。だから得体の知れない 運 みたいな要素ではなく、確かに感じられる 力 なんじゃないかと僕は思います。

 

僕の仮説

 

ここからは、完全に個人的な 仮説 なので、流して読んでいただきたいんですけど、僕は 徳 って 見えないものを見たり、感じたりする力 だと思うんですよね。例えば、親神様の御守護や働きを感じるとか、自分の関与していないところの働きによる自分への恩恵を感じる。みたいな力。それはつまり 【感性】心(魂)の感じる力みたいなイメージを僕は持っているんです。つまり 徳 を積んでいくと今まで見えなかったものや感じなかったものを感じられるようになるんだと思うんです。

 

その今まで見えなかったもの、感じなかったものが見えたり、感じれたりする事によって 感謝 と 喜び を感じられるようになる。だからこそ 徳 を積むことによって 陽気ぐらし に近づいていけるんだと思います。

 

僕が思う 徳のある人 は、周りの人が羨むような環境や状況にいる人ではなく、一見劣悪な環境や状況でもその感じ方によって 人生 を切り拓いていける力のある人だと思うんです。

 

最後に

 

僕の仮説による 徳 とは 心(魂)の力です。今のところこのイメージがしっくりきていて、徳 を積んでいくと最終的に 理 の流れや働きが分かるようにになるんじゃないかと思っています。まあ今のところ仮説の域を出しない理論なのでこれからの信仰生活でそれを証明していけるよう日々精進です。

 

因みに僕の仮説から思案する 徳 のある人の特徴は、

 

  • 人生が、感謝と喜びに満ちている。
  • 常に謙虚。
  • 第六感が鋭い。
  • おさづけがめっちゃ効く。

 

です。こんな人が周りにいたらその人は 徳がある人 なのでその人を目標にしていけば、陽気ぐらし が味わえると思います。

 

僕は、そうなれるよう日々精進です。

 

ありがとうございました。