離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

政治と宗教!!

皆さんこんにちは!!

 

今回のテーマは 政治と宗教!! です。

最近はハイペースで更新気味ですが、やる気が溢れているのではなく、ただ 暇だから!! です。(テヘペロ

 

目次

 

 

 

僕的な位置づけ
 

僕は、政治 は物質的な豊かさの探求、宗教 は精神的な豊かさの探求と位置づけています。一見相反するものを探求しているように感じますが、人間が肉体と精神、二つ一つでその「生」を営むもの とするなら、物質的、精神的豊かさ、この二つを探求することは人間が穏やかに暮らしていくには必要なのではないかと僕は思います。それは僕が信仰する 天理教 が目指す 陽気ぐらし世界の実現 においても必要な要素だと思います。

 

政治団体と宗教団体
 

政治 と 宗教 は追い求めるものが違います。ですから必然的にその性質も異なります。しかしながら、宗教団体を母体とした政治団体も存在します。母体となる宗教の理念に基づいて政治活動を展開する。まさに 政治 と 宗教 の融合ですね。しかし 政治活動 は全ての団体や国民に対して 平等  に行われるべきものです。宗教団体が母体となっている政治団体がその母体となる宗教団体に 政治的便宜 を図ることが懸念されます。そのよう事にならないよう 政治 と 宗教 の間には 政教分離の原則 があります。

 

政教分離の原則
 

政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)

 

国家(政府)と教会(宗教団体)の分離の原則をいう。また、教会と国家の分離原則ともいう。ここでいう「政」とは、狭義には統治権を行動する主体である「政府」を指し、広義には「君主」や「国家」を指す。世界大百科事典では「国家の非宗教性、宗教的中立性の要請、ないしその制度的現実化」と定義されている。
 

要は、国家(政府)と 教会(宗教団体)がお互いに  干渉 しないようにできた 原則 です。

 

何故こんな 原則 ができたかというと、その背景には国民の 信教の自由 があります。

 

日本国憲法第20条では

 

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 

と明記されています。

 

個人が信仰をしようとしまいと自由である。また国(政府)が宗教団体に対して便宜を図ったり、また、宗教団体が国(政府)または政治上の特権を使って宗教活動をしてはいけない。国と国に関わる機関は宗教活動をしてはいけないということです。

 

国民1人1人が信仰しようとしまいと自由、もちろんそれは 政治家、内閣総理大臣 にも当てはまります。だからこそ、ある特定の宗教団体が特別扱いされないように、またある特定の宗教団体が政治に、介入しないように定められた原則なのです。

 

また日本国憲法第89条では

 

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 

とあります。

 

国のお金や財産を宗教団体や組織または私的な慈善事業や教育事業などに使ってはいけないということです。

 

これらのことから、国(政府)の活動がある特定の宗教団体や組織に利益をもたらす、またはある特定の宗教団体や組織が国(政府)の権力を使って活動すると 政教分離の原則 に違反すると考えます。

 

ポスター
 

ちょっと前に某政治家が 天理教の法被 を着たポスターを作って話題になりました。

これが 政教分離の原則 に違反してるだろうという意見もあり、SNSでも議論されていたのを見かけました。

 

違反しているかいないか、それを判断するためのポイントは、

 

その政治家が天理教の信仰者であることの是非。

 

そのポスターが教会内に貼られることが国(政府)からその教会が特権を受けていることになるのかどうか。

 

その教会がその政治家のポスターを教会内に貼ることにより、国(政府)の権力を用いて宗教活動をしていることになるかどうか。

 

そのポスターを教会内に貼ることによって国(政府)が宗教活動をしていることになるのかどうか。

 

その政治家のポスターを教会内に貼ることが国のお金または財産を教会(宗教団体)に支出またはその利用に供していることになるかどうか。
 
だと思います。

 

宗教活動とは

 

宗教的理念・動機に基づく活動。布教・伝道や宗教的な意味を帯びる社会福祉活動などです。

 

第1に、その政治家が天理教であることの是非ですが、日本国民1人1人に信教の自由がゆるされています。それはその政治家も例外ではありません。なので憲法上問題はありません。

 

第2に、そのポスターが 教会内 貼られることが国(政府)からその教会が特権を受けていることになるのかどうかですが、ポスターを 教会内 に貼ることで国(政府)からその教会が特権を受けていると考えるのは無理があると思います。というかその政治家のポスターを 教会内 に貼ることに国(政府)が関与しているとは考えられません。

 

第3に、その教会がその政治家のポスターを 教会内 に貼ることにより、国(政府)の権力を用いて宗教活動をしていることになるかどうかということですが、ポスターが貼っている場所は、教会内 ですので国(政府)の権力を用いて宗教活動をしていることになるとは思えません。また 屋内用  の注意書きもありますので 宗教活動用 に作成されたとは思えません。

 

第4に、そのポスターを貼ることによって国(政府)が宗教活動をしていることになるのかどうかということですが、ポスターは 教会内 に貼られています。また 政党名 は入っていますが、政党 は国(政府)の一部であってそのものではありません。よって国(政府)が 天理教 の宗教活動をしている事にはならないと思います。

 

最後に、その政治家のポスターを 教会内 に貼ることが国のお金または財産を教会(宗教団体)に支出またはその利用に供していることになるかどうかですが、無いと思います。国がそうするメリットが皆無です。それに、一政治家にそんな力や権限があるとは考えられないです。

 

この事から、僕は 教会内 にポスターを貼ることは 政教分離の原則 に違反してないのではないかなと思います。あくまで個人の見解です。

 

 
肖像権
 

SNSで議論されている時、ある投稿にポスターの写真が添付されているものがありました。おそらく本人の承諾は得ていると思いますが、もし承諾を得ていないのであれば、その方の 肖像権とプライバシー権を侵害する行為 になりかねません。またポスターの場合は 著作権 も絡んでくるようです。

 

最近は、フォトハラ  なる ハラスメント もあるようです。

 

お互いに気をつけていきたいですね!

 

最後に
 

日本では、政治 と 宗教 は完全に切り離すべきという風潮が根強いです。それは、固有の信仰を持つという感覚の少ない日本人の国民性、日本においての宗教のイメージの悪さなどの要素が相まってのことだと思います。しかしながら 政治活動 を展開する上で核となるのは 理念 です。その 理念 を明確に構築するという面においては 宗教性 はアドバンテージをもたらすと僕は思います。日本の 政治 が何かふわふわした印象を受けるのは 確固たる信念の欠如 ではないでしょうか。海外では大統領が演説で 聖書  を引用するケースもあるようです。政治の宗教性 をもう少し寛容に捉えてもいい気がします。

 

しかしながら、天理教の法被を着たポスター を作成した議員の行動には 疑問 が残ります。宗教性 を出すべきはそこではないと僕は思います。ただ 宗教票 を獲得する為だけの パフォーマンス とも受け取れますし、求められているのはそんなものではないと思います。まぁかと言って 天理教人 も過剰に反応し過ぎな部分はあります。天理教の教えを理念とする政治家が政界で活躍することは悪い事ではないと思います。思い込みや固定概念で過剰反応して足を引っ張っる事になるのは考えものです。まぁいつの時代も異端児は叩かれるということなのでしょうか。。。

 

因みに僕は大阪寮時代にその政治家をよく見かけました。自転車に自分の名前を書いた幟を立て街中を颯爽と走る姿に、「頑張ってるな〜、僕も頑張ろ」と勇みを貰ったものです。その時は 天理教 だという事は知らなかったですが。。。

 

だから個人的には非常に応援しています。今回の件はいただけませんが、政界でのご活躍を期待しています。

 

 

ご拝読ありがとうございました。