離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

Sexuality!!!

皆さんこんにちは!!

 

今回は思うところがあって sexuality (性、性的関心)について綴ります。

 

最初に言っておきますが、これは一個人の見解であると言う事と、差別や偏見を増長させる為のものではないと言う事、そして人によっては不適切だと思われる表現があると言う事を理解していただきたいと思います。

 

お互いの 性、性的関心 に対する理解を深める一助となればと思いトライします。

 

目次

 

 

異形なる性への関心の高まり

 

近年、異形なる性への関心は高まりつつあると感じます。著名人、有名人などの自分の性に関するカミングアウトや理解を求める活動により、今まで異形なる性として敬遠されていた人たちの社会的地位も高まりつつあり、LGBTQ なる言葉が生まれている事からもその関心の高まりをうかがい知る事ができます。それは、異形なる性への理解がほぼ皆無であった時代を強く生き抜いてきた先駆者たちの苦労の賜物だと言えます。

 

僕は人間の sexuality をカテゴライズする必要性は皆無だと思っています。正確に言うと 不可能である という認識です。sexuality の感覚は千差万別、人それぞれ違います。それをカテゴライズする事自体に無理があると感じます。世の中には、男と女という概念がありますが、これは生物が 種を保存する という特性上、自然にできた概念であり、神の領域  です。sexuality の 感覚 においてはこの概念と分けて考える必要があると思います。

 

性の構築

 

性が構築される要因は 先天性のもの、後天性のもの があり、またその要素も様々だと思います。性質的には自分の意識において構築していくというよりは無意識に構築されていくものだと思います。気づいたらそうなっているものであり、自分の性が構築された過程を説明する事ができる人はいないと思います。例え説明できたとしても、それはキッカケであってそのキッカケを経験したからと言って全ての人が自分の性を同じように認識するようになるとは言い切れないです。性はそれくらい不特定多数の要素によって構築されるものだと認識します。

 

性は性の自覚と関心(何に性的魅力を感じ、興奮するのか)という二つの要素から形成されていると認識します。この二つの要素が無意識の中で複雑に絡み合って生じるからこそ、性の問題は非常に複雑でデリケートになるのでしょう。

 

性の自覚

 

性の自覚 において最も大きな要素は 本人の認識 だと思います。どういう過程を経てそう認識するに至るのかは一概に言い切れないですが、他者が 「あなたの性はこれだ。」と言ったところで本人がそう認識しなければ、それは本人にとっては違う性です。そしてどのように自分の性を自覚するかは自由です。性の自覚 はそれ自体が問題となる事ではないと思います。問題は 性をそう自覚する当事者を周りがどう受け入れていくか という事です。性 に関わらず人間は一人として同じ人はいません。それぞれ違う個性を持つお互いが共存しているのがこの世界です。そして 共存 という状態を円滑にする為に絶対的に必要な要素は 寛容さ です。それは 性 においても同じです。

 

日本は島国という 閉鎖的な環境の特性上、同族文化や習慣が根強く、国民性として異形のものを受け入れる事を嫌う傾向が強いです。長い歴史の中で培われた 精神的傾向 を変えるということは非常に難しい事ですが、人間が円滑に共存する事ができる世界が目指すべき未来 とするなら、寛容な精神を育んでいく事は 必要不可欠 であると思います。

 

性的関心

 

次に 性的関心(何に性的魅力を感じ、興奮するのか)について考えていきたいと思います。

 

この性的関心においても、その感じ方は様々であると思います。そもそも他人の性的関心において、その 感性 が全く違う場合、それを理解する事は不可能だと僕は思います。

 

例えば、性対象が女性 である人たちの場合であっても、何処に 性的魅力 を感じ、興奮  するのかは違います。おっぱいに魅力を感じ興奮する人もいれば、お尻に魅力を感じ、興奮する人もいます。そしてその違う 感性 を理解する事はできません。

 

また 性的嗜好  においても、人それぞれ皆違います。そしてそれを パートナー が受け入れてくれるとは限りません。要は人はみんな多かれ少なかれ 性的コンプレックス を持っているという事です。性的コンプレックス を人に言えず苦しんでいるのは LGBTQ に該当する人たちだけではありません。更にいうなれば LGBTQ への理解が深まりつつあるのは、その性質が 法に触れない範囲内 であるからです。

 

ロリータ・コンプレックス

 

世の中には、幼女や少女に 性的関心 を持つ人たちがいます。所謂 ロリコン と言われる人たちです。しかし、性的関係 において幼女や少女がそれらを分別し、判断する能力があるかどうかを判断する事は非常に難しいです。また、未成年という性質上、保護されるべき存在であり、法律 においても厳しく取り決められています。ロリコン という性質を持つ人たちはこの世界でどのように 性的欲求 を満たしていけばよいのでしょうか。性的関心 は無意識に形成されるものであり、気づいたらそうなっているものです。なのでその 感性 を否定する事は違うと思います。

 

法律に触れる可能性のある性的嗜好をどう考え理解していけばよいのか?

 

非常に難しい問題だと思います。

 

最後に

 

SNSで 性的問題に対する宗教的な見解 を求める記事を見かける事があります。しかし僕は、宗教がその問題に対する見解を明確化する 必要は無いと考えます。その理由は明確な見解を出すことによってそれが 固定概念 になる可能性があるからです。価値観が目紛しく変わる現代社会で求められているものは 寛容さ だと思います。どんな問題にも柔軟に対応できるスタンスであるべきだと思います。

 

そして何より過剰に問題視する事は止めるべきです。問題はその当事者たちよりもその周りの人たちによって大きくなる場合が多いです。問題が大きくなり過ぎる事で苦しむのは当事者たちです。僕たちはその問題よりも当事者たちの心にもっと目を向けるべきではないかと思います。

 

今回は自分の考えをできるだけ分かりやすく書くことを優先しました。それによりこの問題の当事者たちが不快になるような表現があるかもしれません。最後にそれをお詫び申し上げて終わりとします。

 

ありがとうございました。