離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

月次祭をつとめる意義!!

皆さんこんにちは!!

 

つい最近、SNSで 月次祭に行かなくても神様は怒らないと思う。本部で月次祭してるんだから各教会の月次祭はいらない。」というような趣旨の投稿を目にしました。

 

全くもってごもっともな意見だと思います。確かに月次祭に行かなくても神様は怒らないだろうし、末端教会に所属している人は一カ月に何回も月次祭に行かなければならなく、この投稿者の気持ちは非常に理解できます。かく言う僕も同じことを思っていた時期がありました。

 

しかし、こういう思考に陥ってしまうのは、月次祭が 何故、行われているのか? を理解していない事が大きな原因の一つではないかと思います。それを理解すれば、本部や各教会の月次祭が信仰的に如何に大切かを感じる事ができると思います。

 

という事で今回は、月次祭 について考えていきたいと思います。

 

目次

 

 

本部月次祭の意義

 

まず 本部月次祭の意義 について思案していきたいと思います。本部月次祭でつとめられるおつとめは かぐらづとめ です。この かぐらづとめ 人間創造における親神様の御守護を象ったもの と僕は認識しています。かぐらづとめ は手の振り方が違います。手振りは人間創造に際してのそれぞれの役割を表現していて、それが同じメロディーに合わせて踊る。これは 一手一つ の姿です。人間創造においてそれぞれの役割を一手一つに全うする姿は、陽気ぐらしの雛形という解釈もできます。即ち かぐらづとめ とは 陽気ぐらしを形にしたもの とも言えなくもないです。この かぐらづとめ を 元はじまりの場所 ぢば で、世界だすけの理のある 26日 につとめる。そこに働くのは 陽気ぐらし世界を生み出す理 = 世界をたすける力を生み出す理 だと悟ります。これは 陽気ぐらし世界の核となる理 です。つまり 本部月次祭の意義 は たすける力、たすかる力を生み出す ということになると思います。

 

 

教会の月次祭の意義

 

 

次に 教会の月次祭の意義 について思案します。教会では かぐらづとめ は許されていません。というより教会でかぐらづとめをつとめても意味がないのだと思います。かぐらづとめ おぢば (場所)と 26日(時間)という はじまる理と世界だすけの理が組み合わさる事により たすける力、たすかる力を生み出す 事ができるのではないかと考えます。なのでこれらの要素が揃わない教会でつとめても たすける力、たすかる力を生み出す事ができない と考えます。しかし、教会は おたすけ道場 と言われる程、地域のおたすけの拠点であり、そこには たすける力、たすかる力 が必要です。教会にあるもの、それは 受ける理  です。おぢばで生み出された たすける力、たすかる力 を受ける事で地域のおたすけ道場として機能すると考えます。即ち 教会の月次祭の意義 は、たすける力、たすかる力を受ける事 だと考えます。

 

 

二つ一つの理

 

たすける力、たすかる力を生み出す理 とそれを 受ける理 この二つ一つの理で世界は陽気ぐらしに建て替わっていくのだと思います。それが 本部月次祭 と 教会月次祭 の 理が一つ と言われる所以だと思います。どちらが欠けても陽気ぐらしは実現しないと思います。なので、本部月次祭も教会月次祭も陽気ぐらし世界実現には大切であると考えます。

 

上級、大教会の月次祭

 

上級、大教会の月次祭は参拝すべきなのか?

 

これは、微妙な疑問ですよね。教会順序に厳しい教会とそうでない教会で考え方にかなり違いが出ると思います。

 

僕の個人的な見解としては、参拝できればそれに越した事はないと思いますが無理に参拝する必要もない と思います。最も優先すべきは本部と自教会だと思います。まずは本部と自教会の月次祭をしっかりつとめて、都合がつけば上級や大教会の月次祭に参拝すればいいんじゃないかと思います。

 

最後に

 

月次祭に行かなくても神様は怒らない。」確かにそうかもしれません。しかし、官憲の取り締まりが厳しい時代にあって、「人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さあ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を立てるか。これ、二つ一つの返答をせよ。」 との厳しいお言葉を持って咳込まれた の思いに心を馳せる時、やはり おつとめ が 陽気ぐらし世界実現の核 であるのだと僕は思います。僕たちには、陽気ぐらしの状を親に見せる という使命があります。そしてその 核 は おつとめ だと僕は思います。怒られる、怒られないの判断基準ではなく、陽気ぐらし世界実現の為 という判断基準を持つことが僕たちの目指すべき姿だと思います。

 

ありがとうございました。