家業なの?稼業なの?
目次
おかきさげ
皆さんは おさづけの理 はもう戴かれているでしょうか?おさづけの理 を拝戴した人は おかきさげ という よふぼく の指針となる事が書かれた物を渡されます。僕はこの おかきさげ の内容で 「これどういう意味?」 って思うところがあります。
又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。 (おかきさげより抜粋)
この 家業 の部分がどういう意味なのか分からないのです。家業 なのか 稼業 なのか。。。
引用した文は一般的に出回っている現代文字に訳されたもので 家業 の漢字が使われていますが、実物の おかきさげ には変体仮名で かげふ と記載されています。つまり、現代文字に訳した人は 家業 と解釈しているという事だと思います。しかし、おかきさげ についての議論になると大概の人は 稼業 と解釈しています。いったいどちらが正しいのでしょうか?という事で今回は おかきさげ について考察します。
家業と稼業
先ず 家業 と 稼業 の違いから考えていきます。
家業とは、
家の生活を立てるための職業。
その家が代々従事してきた職業。
稼業とは、
生活のための収入を得る仕事。商売。なりわい。
だそうです。
家業 は 家の生活を立てる為の職業。その家が代々従事してきた職業 です。つまり、この職業に就いているのは個人ではなく、家、家族単位だという事がわかります。そしてその職業はその家において代々受け継がれていくものであるのだと思います。つまり、専門性を持った特殊な職業なのだと思います。お金を稼ぐ為と言うよりは社会的なニーズに応える事が第一目的になるのではないかと思います。その結果、報酬が発生するというのが僕の 家業 のイメージです。
稼業 は 生活のための収入を得る仕事。商売。なりわい。です。要は報酬を得る事が目的の職業です。なんかそのまんまですね。
そのまんま東くらいそのまんまです!!
その職業に就いている単位は個人、第一目的は報酬を得る事ですが、社会的ニーズに応える側面もある。それが僕の 稼業 のイメージです。
この考察での 家業 と 稼業 の決定的違いは、社会的役割の優先度ではないかと思います。言い換えれば、使命感 が強いかそうでないかです。家業 は社会的役割を果たしす事を目的とする 使命感 で成り立つ職業。稼業 は自らの生活を安定させる事を優先し、使命感 が無くても成り立つ職業であるのではないかと思います。
実際、おさづけの理 を拝戴する人は 家業 がある人もいるし、無い人もいます。そう考えると万人向きな解釈は 稼業 のような気もします。
ただ、おかきさげ は おさづけの理 の拝戴後に戴くものなので、そのタイミングで お金儲け第一やで〜 って言われているとも思えないんですよね。。。
おさづけの理
そもそも論として、おさづけの理 とは何なんですか?ってところがやっぱり重要だと思います。という事で おさづけの理 について考察します。
まだ おかきさげ の内容が確立されてない時に おさづけの理 を拝戴された人が拝聴されたおさしづがいくつかあるんですが、それをいくつか引用します。
明治二十一年九月九日(陰暦八月四日)
平山寅太良
さあ/\一度二度という、席という理を聞き分け。一度何度も向かうという処、内内家業第一と。それより内々孝心、内々の事情何を思う。家業第一、内々孝心、何も思うまい。内々これよりたんのうという理を治め。たすけ一条のため、一日生涯一つの心と定め。さづけを渡そ。あしきはらいたすけたまへ天理王命、とこれ三遍三遍又三遍さゞん九遍の理を渡そ。しいかり受け取れ。
明治二十一年八月三十日(陰暦七月二十三日)午前七時 松尾芳松
さあ/\たすけ一条のため、所々にも理は無けらならん。こうのうの理を渡すに、よく聞き分け。十分の十分渡す。一度渡せば、神は取り戻さんで。めん/\より落さんようと。さあ/\さづけ/\、どういうさづけ、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これ三遍々々又三遍さゞん九遍の理を授けよ。しいかり受け取れ。
これらのおさしづを読んで分かる事は、おさしづの理 は 生涯をたすけ一条に生きると定めた精神 に渡されるこうのうの理 だという事です。
こうのう は効能(ある働きかけや作用によって現れるよい結果。)の意味だと思います。つまり、病や怪我に作用して良い結果を現す理。これが おさづけの理 であるのだと思います。
たすけ一条 とは、人をたすける事を第一の使命 として生きていく事であると思います。
明治二十一年
岡部万次郎三十七才身上願(元斯道会三十一号講脇)
さあ/\尋ねる。たすけ一条の理を尋ねる。第一人を救ける/\。誠無うて救ける事出けん。受け取る処いうは、幾筋もある。自由自在というは、たゞ一つはっちゃあらせん。内々互い/\という、誠あれば内々睦まじという理を成る。世界から成程の内やなあと、成程の人やなあと言う。先ず早くと言う。何でも子を早く貰おと思ては遅なる。めん/\まで/\めん/\心、誠尽す心あるから、未だ/\と言う。早くになる。ようこれを聞いて聞き分けての思やん、とのさしづと。
まとめると、おさづけの理 とは 人をたすける事を第一の使命 として生きていく事を心に定めた人の精神に渡される 病や怪我に作用して良い結果を現す理。であると解釈します。
よふぼくの使命
おさづけの理 を拝戴された人は よふぼく と呼ばれます。よふぼくの使命。 それは 親神様のニーズに応える事 ではないでしょうか?つまり、陽気ぐらし世界の実現 です。その為に 親 の存在や思いを知らない人々にその存在と思いを伝える。そして自ら先立となり 親 の思いを実践する。その実践は 人をたすける事 ではないかと思います。しかし、一代で陽気ぐらし世界を実現するのは難しいです。ならば、その人をたすける精神を末代まで伝えていく事もまた、とても大切な仕事のように思えます。 とするならば、おかきさげ の かげふ は 家業 と解釈する方が自然なような気がします。お金を稼ぐ事が第一なのではなく、人をたすける事を第一の使命として生きていく事が おさづけの理を拝戴してよふぼくになった者 の生き方なんだよ。それが おかきさげ の 「かげふという、これが第一」に込められた 親 の思いのような気がします。
最後に
今回は おかきさげ に使われている言葉 かげふ について考察しました。まぁ実際の神意は分からないですが、神意に近づく為には必要な作業だとも思います。皆さんの教理への理解を深める一助となれば幸いです。少しでも親の思いを悟りとれるよう日々精進です。
ありがとうございました。