離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

したくない事をしたい事に落とし込む為に!

皆さんこんにちは!!

 

前回、「陽気ぐらしは自分軸で生きていく事、自分に出されている課題に集中する事が大切!!みたい記事を書いたんですけど、こういう事を言うと 「他者の意見は無視すればいいんだ!!」みたいな勘違いをされる方々が一定数は必ず現れるので、今回は捕捉の意味を込めて僕の感覚を綴ります。

 

https://captainace.hatenadiary.com/entry/2020/03/20/211658

 

「陽気ぐらしをしたい!」そう思えた時、人は どうすれば陽気ぐらしができるのか? という 課題 と向き合い、その課題をクリアする事に力を注ぎはじめるわけですが、そもそも、「陽気ぐらしをしたい!」という感情の根源にあるものは何なのか?を考えました。僕はそれは 生きている事の楽しさや喜びを知っている事 と その楽しさや喜びを感じる為に必要な原理、原則を理解している事 だと思います。なので先ずは 「自分が楽しいと思う事 を思いっきりやって楽しむ。」という経験が必要不可欠ではないかと思います。この経験がないと何もはじまらないと思っています。そして、その経験がどのような原理、原則の上に成り立っているのかを理解する。つまり、かしもの、かりものの理 を理解する事になるのではないかと思います。この二つの要素から生まれるもの、それは 感謝と報恩の心 です。この心境に辿り着いてはじめて、「親の思いに応えたい」=「陽気ぐらしをしたい」という感情が湧き上がってくるのだと思います。

 

しかしながら、教会生活ではこの 「自分が楽しいと思う事を思いっきりやって楽しむ」という経験が足りないのではないかという印象です。そういう経験が 悪である という思想が教内に蔓延している事がその原因ではないかと思います。確かに 「難儀しなければ難儀しているものの気持ちはわからん」という言葉はありますが、それは 「自分が楽しいと思う事をやってはいけない」と言っているわけではないと思うし、難儀しかない人生 なんて 絶望 以外の何ものでもないです。そんな人生で 感謝と報恩の心 が芽生えるわけないです。難儀 はその境遇の人の気持ちを理解する為のいっときの経験であり、ずーっと難儀しろ! って事ではないと思います。

 

陽気ぐらしをする為 にはクリアしないければいけない 課題 があります。共通の課題 もあれば 個々に与えられている課題 もあります。やりたい事をやる為 には辿らなければならない道があるわけです。しかし、自分がしたいと思って選んだ 選択 なのですから、それも致し方ない事です。やりたいからやる!だからどんな道のりも越えていけるはずです。ただ、その課題はなかなかに 厄介 です。そして課題がクリアできない自分に嫌気 が差したり、自己肯定感が下がったりします。結果、人のせいにしたり、組織のせいにして、自分を 正当化 して 自己肯定感 を保とうとします。そもそも、できない自分を嫌いになる必要も自己肯定感を下げる必要もありません。何故ならそれは 自分がやりたいからやっている課題 だからです。確かに先輩面して色々言ってくる人もいますが、そんな人は 無視 しましょう。何故なら その人の為にやってる課題じゃない からです。あなたが自分の課題をクリアしないからと言って その人 が困る事は何もありません。全ては自分の為にやっている課題です。そこを見失ってはいけません。

 

こんな事を言うとじゃあ他者の意見は無視すればいいんだ!!」と思う方々もいると思いますが、そんな方々に悲報です。実は 課題の中に他者の意見を素直に受容できる精神になる事 も組み込まれています。「なんだよ〜、結局かよ〜」って声が何処からか微かに聞こえる気がしますが、あなたがその課題をクリアできなくても誰も困らないので安心してください。あなたが 陽気ぐらし ができないだけです。

 

とは言っても やりたくない課題 も確かにあります。何故やりたくないのか?それは 楽しくないから です。そんな時は思い込むのが一番手っ取り早い方法です。楽しい と思い込むんです。

 

は?何言ってんだこいつ??

 

って思ったでしょう。

先ず 「それは本当に楽しくない事なのか?」を疑ってみませんか?

 

例えば 戸別訪問 を例にして説明します。

戸別訪問をしたくないAさんがいます。Aさんは戸別訪問が嫌いです。楽しくないからです。

戸別訪問は楽しくない事。これがAさんの世界の現実です。

戸別訪問がしたくてたまらないBさんがいます。Bさんは戸別訪問が大好きです。楽しいからです。戸別訪問は楽しい事。これがBさんの世界の現実です。

皆さんもご承知の通り、世界は一つです。だからAさんもBさんも住んでる世界は同じです。しかし、戸別訪問 に対する認識は違いますよね。この認識の違いが起こる原因。それは 思考 です。つまり、戸別訪問 という行為に 楽しくない、楽しい の付加価値を付けているのはAさんとBさんの 思考 なんです。戸別訪問は楽しくない という現実があるわけではなく、戸別訪問は楽しくないと認識しているAさん が存在しているだけなんです。

 

人間は皆、価値観 が違います。それは現代社会では常識ですが、価値観 は変えられます。それはその根源にあるのが 思考の癖 であり、その 思考の癖  思い込み によるものだからです。つまり思い込みをとって思考の癖を変えれば 価値観 も変わるという事です。世界で起こる現実は変えられませんが、それをどう感じるかは変えられるんです。しかし、この スキル の習得には レーニング と 時間 が必要です。ただ、このスキルを習得できれば、課題 はほぼクリアできるはずです。何ならこのスキルの習得こそ 課題の正体 と言っても 過言 ではないと思います。

 

人間は陽気ぐらしの状を親神様に見せる為に創られました。しかしながら、それは 強制 ではありません。ただ、しあわせ になれる道はそれ一つです。ならば先ずやるべき事は自分の中に したい事として落とし込む事 ではないでしょうか。何故なら自分がしたい事の中にこそ 陽気ぐらし は存在していると思うからです。

 

自分のやりたい事=陽気ぐらし それが目指すべき感覚だと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。