人生はつづくよどこまでも!!
皆さんこんにちは!!
今回、【人生は続くよどこまでも!】と題して、「出直し」と「いんねん」について考察していきたいと思います。
よろしくお願いします!!
目次
出直し
この世に存在する全てのものにおいて、絶対的に働く原理、原則。それは、「はじまる」事と「終わる」事ではないかと思います。どんなものにも、どんな事にも はじまり があれば 終わり があります。僕たち人間もその原理、原則の中で生きています。人生はいつか終わる時が来ます。世間一般的にその終わりは「死」と定義付けられています。
この「死」と定義いう付けには 宗教の思想 が大きく影響していると思います。
殆どの宗教には、死後の世界が存在します。インドに端を発する宗教には 六道輪廻 という考え方があり、釈迦 はその 六道輪廻 から 解脱 しない限り、苦 から逃れる事は出来ないと考えて、悟りを啓きました。それが 釈迦 の 入滅 後、弟子達によって纏められたのが、最初の 仏教 です。
ユダヤの民族宗教、ユダヤ教 から派生した キリスト教 や イスラム教 にも 天国 や 地獄 が 死後の世界観 として表現されています。
天理教 には 死後の世界 は説かれていません。説かれているのは、神様がこの世に人間を創造した目的 と、どうすればその目的が達成されるのか だけです。それは 天理教 には、死 という概念がないからです。世間一般的に 死 と定義付けられているものは 出直し と表現します。
天理教 を信仰している人の中には、出直し=死 と解釈して 出直し にあまり良いイメージを持っていない人もいますが、出直しと死は違います。概念が違うのです。
天理教 では、人間の身体は かりもの であり、魂 に身体を借りていると考えます。借りているものはいつか必ず返さなければならない時が来ます。そして返す事を 出直し と表現します。何故、こう表現されるかと言うと、魂 に新たな身体を借りて、新たな人生がはじまる時が来るからです。つまり人間は生まれ変わりを繰り返しているという事です。
死 は 終焉 ➡︎ 滅する事 を意味しますが、天理教 の 出直し は 新たなはじまり を意味します。
この 出直し の考え方では、人生は身体を 借りては返す を繰り返しながら続いていきます。今世 の前には 前世 があり、来世 がやってきます。前世 の記憶はなくなるようですが、行った 善行 や 悪行 は 魂 に刻まれ持ち越します。
因みに、ごく稀に 前世の記憶 が残ったまま生まれ変わって来る人もいるようです。
前世 での行いが 今世 に、今世 での行いが 来世 に反映されます。
いんねん
人生で起こる事は、何事も原因があり結果が現れます。原因のない結果などありません。しかし、原因があっても結果が現れるとは限りません。その差はその原因と結果を結び付けるものがあるかないかではないかと思います。この結び付けるものを 天理教 では いんねん と表現していると考察します。
人生には、自分に身に覚えの全くない事や自分が関与していない事に左右されてしまう事があります。それは 前世 の行いが 今世 に影響を与えていると考えます。
良き人生を送ろうと思えば、まず過去の自分の行いを顧み、悪いところを反省し、同じ過ちを起こさぬよう、今という時間を大切に生きる。それにより未来が拓けてきます。
世間一般の人生観では今世の時間の流れの中でそれが行われます。しかし、天理教の人生観は 前世、今世、来世 と世を跨ぐ時間の流れの中でそれを試みます。
今世での 自分の心遣いや行い により起こってきた事ならば、自分の過去を思い返せば、原因に辿り着く事ができますが、前世の自分の心遣いや行いにより生じ、持ち越した いんねん を自覚するのはなかなか難しいです。何故なら記憶にないからです。身に覚えがないからです。
まさに「記憶にございません」状態です。しかし、やった事はしっかり刻まれています。
いんねん には 白いんねん と 悪いんねん があります。白いんねんは良いいんねん、悪いんねんは悪いいんねんです。
僕は、人間は元々 白いんねん しか持っていないと考察します。それは 親神様 が人間を御創造された目的が、人間の陽気ぐらしの状を見たい だからです。しかし、その事実を知らない人間は、これまでに生きた時代、時代で心に 埃(非道徳的な精神)を積んでしまい、その積んでしまった埃が魂に染み込んだ結果、持ち越しの 悪いんねん になってしまっています。
天理教 の目指す 陽気ぐらし世界 を実現する為に、魂を純粋な 白いんねん に戻す必要があります。その為に 悪いんねん が魂に染み込んでしまわないように 埃 を日々 掃除(反省し戒める)し、前世 から持ち越し、魂に染み込んでしまった 悪いんねん を取り除く事を軸に信仰が展開されます。
具体的には、まず自分がどんな 悪いんねん を積んでしまっているのかを自覚する事です。自分の 悪いんねん の自覚は、周りの人間関係や起こってくる事、御先祖様の人生などからアプローチしていきます。天理教 では、周囲の人の姿は自分を投影している鏡であると教えられます。そして、前世で積んだ悪いんねんを さんげ し、自分自身の魂が浄化されるような心持ちと行いで日々の生活を送れるよう心掛ける事が大切であると思います。
陽気ぐらしは、自分だけではなく、周囲の人々も陽気な心持ちで暮らせる世界であると思うので、自己中心的な考え方を慎み、周りの人たちとたすけあい、支え合えるような関係を築いていく事が必須であると思います。この様な心持ちを天理教では たんのう と表現します。つまり、天理教の信仰者が目指すのは たんのうの心 で日々の生活を送れる人です。
しかし、この たんのうの心 は理解していても、実践する事はなかなか難しいです。悪いんねん が悪ければ、悪い程、周りに引き寄せられる人たちの 癖 も必然的に強くなるので、どうしても心に埃を溜めやすくなるからです。しかし、魂が浄化されて 白いんねん にならなければ、人間が本来営むべき姿、即ち しあわせ にはなれないという事なので、信仰生活は如何に たんのうの心 になるかを模索し続ける生き方とも言えます。
最後に
今回は【人生は続くよどこまでも!】と題して、出直し と いんねん について考察しました。天理教 の人生観では、人生に終わりはありません。今この瞬間の生き方が、これから何100年も何1000年も時代を越えて自分という人間にのし掛かってきます。しかし、それは、しっかりと今を大切に丁寧に生きてさえいれば、人生は必ず しあわせ に近づいていくという事でもあります。明るい未来を現実のものとする為に、お互いサボらない人生を歩んでいきたいですね。しかし、人生は続くよどこまでも!ですから道のりはエンドレスです。なので疲れた時は休みましょう。サボる事と休む事は違いますから。
以上です。
ありがとうございました。