離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

神様が為さる事、人間が為している事!!

皆さんこんにちは!!

 

前回の記事で、この世で起こる事は神様がなさっている事ではなく、人間の心(精神)が映し出されているだけです。人間がその物事が起こるような心で日々を過ごしているから、そうなる 理(法則)が働いて、起こってくると書きました。

 

今回は、この事をもう少し掘り下げて、練り練りしたいと思います。

 

因みに前回の記事はこれです。

                                        ⬇︎

https://captainace.hatenadiary.com/entry/2020/05/21/131132

 

是非読んでみてください。

 

教内でこんな言葉を聞いた事はないですか?

 

全ては神様のなされる事だから間違いはない。

 

皆さんはこの言葉をどう感じますか?

 

僕はこの言葉に 違和感 を感じます。確かに人間の全く関与できない事象はあります。

 

地球環境の維持管理、天気の変化や地震津波などの自然現象、人間の誕生や終焉など世界の営みの中で起こってくる事は、人間にはどうすることもできないし、まさに 神の御技 と言えると思います。

 

しかしながら、人間界で起こってくる事、人間個人や団体に起こってくる事や成ってくる姿は、人間たち自身が自らそう成るような 精神 と 言動 をしているからではないかと思うんです。

 

そう思う僕のイメージをお届けします。

 

親神様 がこの世と人間を創造した事は 天理教の信仰者 なら周知の事実だと思いますが、この 創造 の意味は 形造った という意味と システムを構築した という意味があると思っています。

 

つまり、この世の 存在 とその 存在 の中で起こる事に関する 法則(理)を創り、それにより、世界が維持管理されて、親神様 が望む世界になるように システム化 したという事です。

 

教内では、「親神様 は日夜休む事なくあちこち飛び回ってお働きくだされている」というお話が スタンダード ですが、僕のイメージは 親神様 はモニタリングルーム見たいなところで ただモニタリングしているだけ だと思います。夜も8時間キッチリ寝てると思うし、なんならたぶん昼寝もしています。何故なら 親神様 の主な仕事は 世界創造 の時に終わっているからです。後は 人間が陽気ぐらし世界を実現 してくれるのを待つだけですし、そうなるよう システム は プログラム して 構築 しているわけですから、そんなに忙しい事もたぶんないです。

 

そんな 親神様 にも仕事をしなければならない時があります。それは、親が働く理 が 発動 した時です。しかし、親神様 が直接人間に働きかける事はできません。おそらく 神様 と 人間 の存在の性質が違い過ぎるからです。なので何かを 経由 して 間接的 に働きかける方法を取っています。そしてその 経由 できる存在が おやさま です。つまり、おやさま がいなければ 親神様 は人間に働きかける事ができないのです。だからこそ、おやさま は 御存命 でなければならないのだと思います。

 

しかし、現在は おやさま も現し身を隠されていますから直接働きかけることができません。そこで誕生したのが よふぼくシステム です

 

親 が直接働きかける事ができない現状においてこの よふぼくシステム こそ親が人間に働きかける事ができる唯一の方法です。そう考えると、よふぼく の在り方は現在のお道の 肝 であると思います。身が引き締まる思いがしますね。

 

因みに おやさま が入り込むという表現をしますが、僕はこの表現にも少し違和感です。おやさま は現し身を隠されてはいますが、やはり 御一人 である事に変わりはありません。空が飛べるとしても よふぼく が おさづけ を取り次ぐ度にそこに行って入り込む事は 物理的に不可能だと思います。

 

(物理的という表現が適切かどうかは微妙ですが。。。)

 

僕は おさづけの理 を拝戴する時に、おやさま と その人 を繋ぐ何か(例えばICチップ 的なイメージのもの)が身体に入り込むのではないかと思います。そして 親に働いてもらいたい と願った時、その 何か が おやさま と 共鳴 して 親の(働く)理 により神様の力を取り次ぐ事ができるのではないかと考えます。

 

この 共鳴 する条件は、

 

  • 親の働きを願った時。
  • 誠真実を体現できた時。
  • 充分な徳がある事。

 

などの一定の条件が決められています。なので よふぼく はこの条件を把握し、常にその水準を満たす事ができるよう、努力する必要があるんだと思います。

 

話しがちょっとそれた感じになりましたが、この世界は 人間が陽気ぐらし世界 に向かうように システム化 されていて、それに沿わないと修正するような 法則(理)が働くように プログラム されている。その プログラム が発動する条件は 人間の精神(心)や言動 によると考えます。そう考えるならこの世で起こる事や現れる姿は 神様がなさる事 ではなく、人間が成している事 と言えるのではないでしょうか。

 

僕はそう 理解 しています。

 

おしまい!