離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

徳と理!!

 

皆さんこんにちは!!

 

今回は《徳と理》の関係性 について考察していきたいと思います。

 

 

 

目次

 

 

世界のルール

 

 

皆さんにとって良い人生とは何ですか?

 

僕が思う良い人生とは 思う事が思うようになる人生 です。やっぱりなんだかんだ 自分の人生を自分の思うように したいですよね。しかし、世の中そんなうまくはいかないものです。うまくいく時、思い通りになる時はあります。しかし、うまくいかない、思い通りにいかない時の方が 圧倒的に多い ですよね。

 

その原因は何だと思いますか?

 

まあ原因はいろいろあると思いますが、僕が思う最大の原因は 理が働かないから です。

この世界の全ては絶対的な 原理、原則(理)の上に成り立っています。成ってくる事全ては、それが成ってくる 理 が働いているからです。自分に都合の悪い理が働けば、自分に都合の悪い事が成ってくるし、自分に都合の良い理が働けば、自分に都合の良い事が成ってきます。この世界はそういう ルール になっています。では、

 

それは誰が決めたのか?

 

神様 です。

 

この世界は 神様 が 人間の陽気に暮らす状を見る為 に創られた世界です。なので、人間に 陽気ぐらし をさせる為の ルール により支配されています。要はその ルール を理解して、自分に都合の良い事が起こるように操作する事ができれば、自分に都合の良い人生が送れるという事になります。

 

どうすればルールを操作する事ができるのか?

 

まず、その ルール を理解する事、そしてそれを操作できる  を得る事が必須です。

 

操作する力とは何なのか?

 

それは  です。徳 とは 魂の力 (筋肉)だと考えます。自分に都合の良い 理 を働かせるにはそれに見合った が必要です。結局、自分に都合の良い人生を送るには 徳 を積むしかないのです。徳 は人から貰ったり、人にあげたりする事はできません。また一気にガツンと積む事もできません。日々、常々、地道にコツコツと積み上げていくしかできません。

 

ではどうすれば徳が積めるのか?

 

それを考察していきたいと思います。

 

 

 

かしもの、かりもの

 

 

徳積み を考える上において必須の概念はやはり かしもの、かりもの だと思います。この意味を理解すれば 何が徳積みになるのか? が自ずと分かるはずです。

 

人間の身体は 神様からのかりもの。ではそもそも 神様 は 何故人間に身体を借しているのか?

 

答えは 陽気ぐらしする状 を見る為です。

 

では何故借すというシステムにしているのか?

 

僕はこの理由は二つあると考えます。

 

一つは 自分の人生に集中させる為 です。もし身体が自分の もの であったなら、人間は自分自身で身体のありとあらゆる機能を管理しなければなりません。つまり、現在無意識に行われている領域の働きをも意識しなければならなくなります。この場合、意識が無くなる=死 です。そもそも巧妙で複雑な人間の身体を全て意識して管理する事など恐らく物理的に無理であるし、できたとしても、管理する事に全神経を集中しなければならないと思うし、そうなると 陽気ぐらし どころではなくなります。あくまで 神様 の目的は 陽気ぐらしを見る事 なので、それが可能なだけの 余裕 を持たせる為に 借す というシステムにしているのではないかという考察が一つ。

 

もう一つは、好き勝手使わせない為 ではないかという考察です。かしもの というシステムにする事により身体の 実権 は借し主である 神様 にあります。そうする事で  人間が好き勝手に身体を使う事を制御している と考えます。つまりこれは 身体は自由に使っていいけれど、無秩序に使ってはいけない という事になると思います。僕たちは 神様 が創り、支配する ルール の範囲内であれば、身体を自由に使えるけど、そうでない場合はその限りではない という考察です。

 

これらの考察から、徳積み となる行為は 陽気ぐらしの実践 になると考えます。

 

 

 

実践のかどめ

 

 

こうなると 陽気ぐらしって何? という疑問が生じます。はっきり言ってそれは分かりません。何故なら 未知の領域 だからです。そもそも陽気ぐらし世界を目指している現状において それ はまだ実現していないという事になるので当然といえば当然です。困りました。どうやら 徳積み についての思考はここで頓挫してしまったようです。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安心してください。続きますよ!!

 

 

現状、陽気ぐらし世界は実現していません。しかしそれは、世界 が実現していないだけです。個人となると話しは別になります。先人、先輩達の中には 陽気ぐらし を体感したであろう人達が何人かいます。つまり、個人レベルにおいて 陽気ぐらしを実践し、体感する事 は十分可能であると考えます。そしてその かどめ を おやさま は残されています。人間でありながら神の言葉を取り次ぐ仕事を許された先人にされた仕込み。それは、

 

朝起き、正直、はたらき

 

です。

 

この三つをしっかり実践すれば 徳 は積まれていくはずです。少し考察します。

 

朝起き; 朝起きる事ですね。早起きではなく朝起きです。正確に言うと朝起きに 朝早く起きる という意味が含まれているみたいですが、早起きではなく朝起きと表現されているのは何か意図があると考えます。僕が思うに 早く起きましょう というより 朝に起きましょう  というニュアンスが強いと感じます。この意味は やるべき時にやるべき事をしましょう という事ではないかと考えます。また、我が身可愛い一条 に陥らないようにという戒めもあると考えます。睡眠は人間の三大欲求であり、中でも毎日健やかに暮らす上で絶対に必要な行為です。この絶対に逃れられない 欲  を如何に制御できるかが 朝起き にはあります。埃に負けず自分を律する という事も含まれているのではないかと考察します。

 

正直;おやさま は 蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのはその身が嘘になるで。と言われています。この 正直 に込められた思いは 素直に実行する という事だと思います。

 

はたらき;おやさま は 働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、側楽・ハタラク)と言うのや。と言われています。陽気ぐらしの実践において基本となる精神はやはり周りの人たちに楽をさせる事だと思います。これは 優しさ とか 思いやり のような概念に近いと思います。自己を中心に判断するのではなく、利他を中心に判断する事が必須であると考えます。

 

 

最後に

 

 

今回は、「自分に都合の良い人生を送る為にはどうしたらいいのか?」から出発した考察でした。結果、「自分に都合のよい人生を送るには周りの人が都合よく生きれるように尽力しましょう!」という結論に着地しました。この事から世界は 自分一人で好き勝手生きていけるようになっていない と僕は考察します。この世界はみんなでハッピーになろうとしないと誰もハッピーになれない世界なのだと思います。この世界での生き方の正解はたぶん、みんなでハッピーになろうとする事  だと僕は思います。

 

おしまい!!