肩書きと信頼!!
皆さんこんにちは!!
離島の働く教会長!!です。
今回は、「肩書きと信頼!!」というテーマで僕が思う事を綴ります。
よろしくお願いします。
この世界で生きていく上で避けられないもの。それは人間関係です。人間は生きていく中で必ず他者と何かしらの関係を築きます。そもそも人間は誰一人として自分の力でこの世に生まれ出る人はいません。お父さんとお母さんがいてその愛の結晶としてこの世に生まれ出るわけですからこの時点で既に人間関係は築かれていると言えます。
人間関係に大切なもの。それは信頼だと思います。この信頼がないと円滑な人間関係は築けないと思います。もしあなたが誰かとのどこかギクシャクした関係に悩んでいるなら、それは信頼がないからです。
信頼関係の構築。これは人間関係において最も優先されるべき事項です。数多とある面接や合コンなどにおけるテクニックと呼ばれる事柄は、全て信頼関係を築く為のものです。
信頼関係は築くのが難しく、壊すのは簡単。
これが世間一般的な定説のようです。しかしながら、比較的簡単に信頼を得る事ができる要素はあります。それが肩書き(ブランド)です。
例えば、街中で急に体調が悪くなり倒れてしまった人がいるとします。その時、颯爽と現れて救命活動をする人が、何の肩書きもない人と医師という肩書きを持っている人だったら、断然後者の方が安心すると思います。それは医師という肩書きが信頼できるものと認識されているからです。
しかし、その医師の肩書きを持っている人は本当に信頼できる人なのでしょうか?
例えば、その人が若いなら、その人は医師になりたての研修医かもしれません。
例えば、その人が年配者だった場合、その人は第一線を退いて何十年も医療行為に携わっていないかもしれません。
肩書きがある事とその状況に対処できる事は違います。しかしながら、人はその人に肩書きがある事でその人はできると認識しやすくなります。
肩書き(ブランド)は先人、先輩方が築き上げた信頼です。つまり、その肩書きを得る事で先人、先輩方が築き上げた信頼を得る事ができます。
肩書きは手っ取り早く信頼を得る方法です。しかしながら、その信頼はその人自身に向けられたものではなく、その肩書きに向けられています。その事実を忘れてはいけません。
あなたはその肩書きを得る為の努力はしたでしょうが、信頼を得る努力はしていないのです。故に、あなたがその肩書きが持つ信頼感に相応しい人間であるかどうかはまた別の話しなのです。
人として人と接する時、得るべき信頼はやはり肩書きに向けられたものではなく、その肩書きを持つ人に向けられたものでなければならないと思います。
たとえ最初は肩書きに向けられた信頼感だったとしても、最終的には自分自身に向けられる信頼感へと昇華できるだけの努力は必須だと思います。
天理教内にも立派な肩書きを持っている人は多くいますが、その肩書きに相応しいだけの信頼感を持っている人は思いのほか少ないのではないかという印象です。
なかには、その肩書きに向けられた信頼を自分に向けられていると勘違いしている人さえいます。しかし、この世の中に全く信頼を得るような関わりなく、信頼をしてくれる人などいません。そして自分自身に向けられる信頼を得る為にはやはりそれなりの時間が掛かります。
大教会長、分教会長、布教所長、教会役員など教内における肩書きを所有する人は徳があるのではなく、その肩書きに見合うだけの成人をするよう促されている人たちだと思います。そう考えるならその肩書きを得た人たちが励むべきはその肩書きに見合う人になる為の成人の努力ではないかと思います。
日々自分を顧み、肩書きに相応しい人になる為の成人の努力をし続けられる人でありたいと思います。
終!!