離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

無駄にハードルを上げない!!

 

人間関係、特に恋愛対象に対して第一印象は大切である。生物は本能的に対峙する生物が自分にとって安全な存在かどうかを見極めようとすりる習性がある。それはおそらく人間も例外ではない。進化の過程で高度な知能を有した人間はその習性をコントロールする術を編み出した。要は対峙した者に安心感やポジティブなイメージを与えて自分はあなたにとって安全な存在であるという事を印象付けるテクニックを使い対峙する者の印象を操作するのである。

 

このテクニックは今や人間社会の常識であらゆる分野や場面で用いられ、学問としてもその地位を確立している。

 

しかしながら、人間関係においてその関係のはじまりが必ずしも第一印象からとは限らない。

 

例えば、友人や知人の紹介によって出逢う場合、その友人や知人が自分たちが感じているイメージを先鋒に伝えている場合がある。この場合は第一印象よりも前に対峙した相手にイメージを創られている場合がある。所謂先入観と呼ばれるものである。特に恋愛においてこのようなケースは多いと思う。

 

人間の受ける印象というものは千差万別である。それは、それぞれの持つ概念のベースが違うからである。

 

例えば、イケメンと言われる概念にしても、木村拓哉はイケメンだと思うけど、小栗旬はイケメンだと思わないという人がいる。この場合、イケメンだからと小栗旬を紹介されてもその人にとってはイケメンではないのでイメージ(先入観)と違う印象を受ける事になる。更にイケメンと言う先入観があった事によりその先入観が覆った事の反動で印象が悪くなる場合も往々にしてある。

 

万人に対してイケメンな人などいない。しかし人は自分がイケメンだと思う人は万人に対してイケメンである。と思ってしまう。これは外的要素だけでなく内的要素においても言える事である。

 

 

僕は人に紹介されるのが苦手だ。それは第三者によって自分という人間の印象が操作されるからである。しかしこの場合、この第三者に悪意はない。寧ろ善意しかないのである。しかしその善意が人間関係の構築において弊害になる場合が往々にしてあると言う事を心得ておかなければならない。

 

人を誰かに紹介する場合、必要以上に紹介する人の情報を先方に与えないというのは非常に大切な事だろう。特に自分の持つ印象やイメージは伝えない方が良いと思う。伝えるにしても自分の持つ印象やイメージであるという事を強調するべきであると思う。

 

印象やイメージは当事者たちがお互いの関係性の中で構築していくものではないかと思う。もちろんサポートを求められれば話しは別だが求められないサポートをする必要はたぶん無い。