「八つの埃を科学する」を視聴して!!
皆さんこんにちは!!
今回は、先日大教会当番の時に勧められたYouTube動画 陽気チャンネル、正代分教会長 茶木谷吉信先生の「八つの埃を科学する」を視聴してのプレビューを備忘録として綴ります。
この記事は自分自身が動画の内容を自分の中で整理する為の言語化であり、この内容=動画の内容とはならないという事を前提としてお読みくだい。
それではよろしくお願いします。
今回視聴した動画のテーマは八つの埃でした。茶木谷氏曰く、八つの埃を題材とした本を書く人が誰もいない。だから八つの埃に対する悟りは100年余り殆ど変化していない。これは現代人の怠慢だ。と語られています。確かに、この八つの埃は理解しているようで理解できていない教理であると思います。これはつまり、自分の中には落とし込めているが、これを言語化できない。他者に説明できない。という事だと思いました。実際、茶木谷氏も動画の冒頭で「自分自身も余りできていない。」と語られています。
八つの埃は信仰生活の核となる教理です。しかしながら、そこを掘っていく、つまり本質を理解しようとする作業をする人はたぶんそんなに多くは無いと思います。故に、何となく理解している状態のまま生活している。しかしそれでは、八つの埃を払う事はできないと思います。実際茶木谷氏もそういう主旨の事を言われていました。
今回視聴した動画は、それ自体が十分分かりやすいです。今回のブログは僕自身の思考の整理の為の記事なので、分かりやすい説明を希望される方は是非動画をご視聴ください。
天理教の人なら誰もが知っている。八つの埃。これを知らずして信仰生活を送る事など不可能です。
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん。
これらの八つは二種類に分類できるそうです。
ものを掻き寄せる時に生じる埃とものを離す時に生じる埃。
ものと自分の関係性には三種類しかないそうです。自分に近づいてくるもの、自分から離れていくもの、自分との距離を一定に保っているもの。
氏曰く、をしいとほしいは親戚だそうです。
をしいとは物理的なものが離れていく時に生じる埃。ほしいとは物理的なものを掻き寄せる時に生じる埃。この場合、ものと自分の関係性はをしいについては自分から離れていく。ほしいについては自分との距離を一定に保っている。という状態だと思います。つまり、自分から離れようとするものがある時、自分に近づいて来ないものを掻き寄せようとする時に生じる埃なのだと理解します。
氏は親戚という表現をされましたが僕は対なるものという印象を受けました。
次ににくい、かわい。これも対の関係になります。
にくいとは精神的にものを離そうとする心遣い。かわいとは精神的にものを引き寄せ離さない心遣い。この場合、ものと自分との関係性は、自分に近づいてくるになると思います。つまり、自分に近づいてくるものを拒絶する、または抱きしめて離そうとしない時に生じる埃なのだと思います。
これは僕の考え方ですが、正確にいうとかわいという感情自体は埃ではないと考えます。何故なら自分を可愛いと思う、自分の子供を可愛いと思う感情は生きていく上で必須であるからです。おやさまは自分が可愛いと思う心を戒められているのではなく、自分が可愛い一条の心を戒められていると理解します。一条、つまりこれだけという精神を戒められていると思います。
次にうらみとはらだち。これらの根源は怒りだそうです。怒りという感情をどう処理するかによって変わってくるそうです。現代風に表現するとアンガーマネージメントだそうです。
怒りの感情を溜め込むとうらみになり、発散するとはらだちになるそうです。閉じ込めるか解放するかです。
次によくとこうまん。これらには埃になる条件があるそうです。「第三者の目線」です。動画ではメタ認知という表現をされていました。要は身の程を知るという事だそうです。
これは僕の考え方ですが、これらの埃は自分自身で認識する事が不可能だと思います。自分を俯瞰的に観察する事ができれば、自分自身で認識する事も可能なのかもしれないですが、僕は、自分を100%俯瞰的に見れる人間はこの世に存在しないと思っています。それは人間は自分を正当化する生き物だからです。故にここでは、よく、こうまんの埃は自分自身で認識する事は不可能であるとします。
いやいや、じゃあ自分に埃が積もってるか分からんやん!!
って人がいると思いますが、大丈夫です。おやさまはそれでも認識できる方法をちゃんと教えて下さっておられます。
世界は鏡。
この世界は自分の心通りの姿が写るようになっています。つまり、自分の周りの人たちを見れば自分に埃が積もっているかどうか認識できるという事です。例えば、周りにあの人こうまんやな〜って人はいませんか?もし居るならそれは自分がこうまんだからそう感じるのです。
周りを見渡せば、あの人、欲深いなぁ〜とかあの人こうまんやなぁ〜って人は一人は必ずいます。つまり、よくとこうまんの埃は常に積んでいると認識して間違いないと思います。もし一人もそういう人がいないというのであれば、それは自分自身によく、こうまんの埃がないと思ってもたぶん大丈夫です。
八つの埃は内の属性を持つものと外の属性を持つものに分類できるそうです。
をしい、かわい、うらみ、よくは内の属性。
ほしい、にくい、はらだち、こうまんが外の属性。
更に根源となる要素は三種類に分類できるそうです。
をしい、ほしい、にくい、かわいは執着。
うらみ、はらだちはアンガーマネージメント。
よく、こうまんはメタ認知。
執着を取り払うには今あるものや環境に感謝する事であると語られています。
アンガーマネージメントを上手にするコツは自分を顧みる事だそうです。怒りを他者に向けるのではなく、自分を顧みて反省する。これは慎み。
メタ認知。身の程を知る事により、無理をしない。変な頑張り方をしない。これはたすけあい。
結論
感謝、慎み、たすけあいの心で日々を通れば、埃は自然に払われる。
氏曰く、「よくおつとめをすれば、ひのきしんをすれば埃が払われると教えられるがそんな事は無い。いくらおつとめをしてもひのきしんをしても上の空であったり、不足しながらでは埃は払えないどころか、逆に埃を積んでしまう。感謝とたすけ心でおつとめをし、ひのきしんをするからこそ埃は払われる。」
僕もそう思います。おつとめやひのきしんはどういう精神でやるかが最も大切な事なのに、そこの説明が端折られているケースが非常に多いです。つまり、訳も分からずやっているケースです。それでは、100%の効果は期待できないと思います。何故やるのか?を理解してしっかり意識する事がとても大切であると思います。
今回は、「八つの埃を科学する」という動画を視聴して自分の中に落とし込む事を目的としての言語化が主な目的ですが、これが皆さんの教理理解の一助となればと思いシェアします。
お役に立てれば幸いです。
終