離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

この糞ったれの世界で!!

 

この世に平等なんてものは無い。あるのは気持ち良い程、純粋な理不尽だけだ。この世の中は不条理。生まれる場所を環境を誰が決めた。親をきょうだいを誰が決めた。時代を誰が決めた。備わった才能を誰が選んだ。この世に存在できる時間を誰が決めた。分からない。誰かはだといい、誰かは運命だというけど、そんなものはどっちだっていい。ただ確実なのは自分では決められない。その事実だけ。

 

僕たちは結果を選べない。選べるのは過程だけ。できるのは努力だけ。それを選んだところで望む結果を得られるとは限らない。努力したからといって報われるとは限らない。これを不条理と言わずして何を不条理と言えようか。

 

それでも僕たちは生きていかなければならない。命(じかん)が尽きるまで。この不条理な世の中で。理不尽を掻き分けながら。誰もその理不尽を代わりに掻き分けてはくれない。自分の力で掻き分けていくしかない。

 

この世は灰色だ。信じられるものなど皆無。あるのは信じる信じないかの選択肢だけ。信じたものが白になり、信じなかったものが黒になる。自分が白にしたものにだけ自分が持ってる色を塗れる。でも持っている色の種類も数も違うから出来上がりは全部バラバラ。

 

子供の頃はよく「他人(ひと)の気持ちが分かる人になりなさい。」って言われたけど、大人になって思うのは、他人の気持ちなんてそんな簡単に分からないって事。だから人間は言語をあみだし、発達させてきたんだろう。何も言わない人の気持ちなんか分からないし、言った事が本当かどうかも分からない。仕草や行動である程度読む事はできるけどそれも正解かどうかは分からない。

 

たまに何も言わないのに「誰も自分を理解してくれない。」って言う人がいるけど、そんなの分からなくて当たり前。分かってほしいなら伝えないと。誰も代わりにあなたの気持ちを伝えてはくれない。自分の気持ちは自分で伝えるしかない。

 

子供の頃、入学式や卒業式で「君たちには無限の可能性がある。」なんて言葉をよく聞いたっけ。でも大人になって思うのは、「可能性なんて皆無だったんだな〜。」って事。子供の可能性なんて0%だよ。可能性はあるものじゃなくて創るものだから。何もしない人の可能性はどこまで行っても0%。結局大人は無責任なんだよね。いつの時代も根拠のない励ましをする。でもそれ止めた方がいいよ。誰の為にもならないから。

 

人間は所詮、自分第一だから。身内はともかく、他人に興味なんか殆ど無い。自分にメリットがある人以外には。天理教では人だすけをしましょうってよく聞くけど、それはそれをやれば自分がしあわせになれるって大前提があるから。もし人だすけしたら不幸になります。って言われたら誰も人だすけなんかしない。そんなの当然の事なのに「人をたすけるのは自分がたすかりたいからだ。最低だ。」なんて人がいるけど、人間そんなもんだよ。あなただってそんなもんでしょう。「そんな最低でもなんでも無い事を最低にするあなたが最低だよ。」と僕は言いたい。もういっちゃったけど。

 

とにかく言いたいのはこの世界は糞ったれだ」って事。でもそんな糞ったれな世界で一生懸命生きていこうとする人間はやっぱり尊い。だから生きていこう。愚直に。誠実に。どこまで。