離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

結果こそ全て!!

 

人間世界は結果が全てだ。

 

どんな業界であれ、結果が出ない人はクソなのである。それは天理教においても当てはまる。

 

持て囃されのは結果が出ている人間だ。それは目に見える何か、例えば数字であったり、状況であったり、そういう要素が分かりやすく現れている人たち。それ以外の人間は見向きもされない。喩えどんなに誠実に頑張っていても。

 

メディアで取り上げられるのは往々にして、結果が出ている人たちだ。

 

それはこの世界で生きる人間の大多数が結果を欲していて、どうすれば結果が出るのかを知りたいから。極端に言えば、最短で楽に結果を出したいからだろう。

 

だからこそ、結果が出ている人たちのノウハウを知りたがる。そのノウハウを実践すれば結果が出ると思っているから。

 

しかしながら、そう上手くいかないのもまた世の中である。

 

何をすれば結果が出るとかそういうものはたぶん無い。もちろんA地点に行きたいのにB地点に向かって走る、みたいな突拍子もない努力で結果が出ないのは当たり前の事であるが、A地点に向かって走っているのであれば、必ずA地点に到着すようにこの世界はなっている。

 

ただ、状況や環境は人によって違う。比較的平坦な道の人もあれば、かなり急な登坂の人もいるし、ジャングルのような険しい道を行かなといけない人もいる。追い風の人もいれば、前に進めない程の向かい風の人もいるし、横風に煽られて上手く歩けないなんて人もいるだろう。

 

よって必然的にそこに辿り着くまでの労力も変わってくる。

 

はっきり言って理不尽である。しかしながら、その理不尽を嘆いたところで状況は変わらない。僕たちにできるのは、行くか行かないかの選択実行だけだ。

 

結果がなかなか出ない人が比較的容易に結果が出た人にアドバイスを求める。はっきり言ってあまり意味は無いと思う。何故なら道のり自体が違う可能性があるからだ。野球選手がサッカー選手に技術的アドバイスを求めるようなものだろう。

 

あと《何をやっているか、何をやったのか》という質問も無意味だろう。そのやった事自体はあまり重要ではないのだから。

 

そもそも論として結果は必ず出るようになっている。結果が出ない人の最大の原因は結果が出るところに到達していないから。ただそれだけなのだ。進むべき方向が間違っていないなら結果は必ず出ると僕は思う。

 

ただ、結果が出るまでやり続けられるかは分からない。様々な事情で続けられない、断念しなければならない事も往々にして起こってくるからだ。

 

最も大切な事はやり続ける事だ。その為に必要な事はモチベーションの維持である。なので、なかなか結果の出ない人はなかなか結果は出ないけどやり続けている人にアドバイスを求めるべきであると思う。何をやったか、やっているかはそこまで重要ではない。どうモチベーションを維持しているかが最も大切な事で、その方法を彼らは知っているから。正解に言うと、凹んだ時の上げ方、リカバリーの仕方を知っている。

 

神様の世界はおもしろいもので、神様は結果を求めてはいない。求めているものはプロセスでその為に目指すべきものを与えている。

 

神様の世界において、人間が求める結果は人間の努力だけでどうこうできるものではない。だからこそ結果が求められる。そこがある意味プロセスのバロメータになるからだ。だからといって結果を求め過ぎると結果は出ない。何故なら神様の求めるものはそこではないから。結果を求めずして結果を出す。結果を求めないからこそ結果が出る。何とも凄い世界だとしみじみ思う。

 

最後に重要なのは結果よりプロセスなんて人がいるが、そんなものはただの甘えである。何故なら結果が出るからこそ、その道のりはプロセスになり得るのだから。結果の無いプロセスはもはやプロセスでは無いし、プロセスとは言えない。

 

結果が出るからこそプロセスはプロセスとなり得るのだ。