離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

離婚について思う事!!

 

今回は離婚について思う事を備忘録として綴ります。

 

多様性が認められ、個人の自由な生き方が容認される現代社会。それは同時に、協調性を低下させ、周りの人達との関係性を気薄にしているように感じる。それは家族、夫婦にも言える事で、核家族化が進み、離婚に対する抵抗感が減少しているのもそういう要因が少なからず反映されているのではないかと思う。

 

確かに、多様性が認められる社会は素晴らしいと思う。ただ、それと個人を尊重する事はまた別の話しで、自由に生きれる社会は逆に言うと周りを無視している社会と言えると思う。

 

他人の都合など考えず、自分の都合だけで生きていく社会。確かに、見た目は生きやすいように見えるけれど、この世は自分一人で生きていける程甘くはないし、そもそも自分一人が生きているわけでもないから、他人と関わらずに生きていく事などできない。だから人間はコミュニケーション能力を高度に発達させて、複雑な意思疎通ができるようになったのだと思う。

 

人間はみんなそれを知っている。理解しているというより本能として染み付いているんだと思う。だからこそ、結婚しなくても幸せになれる現代であっても結婚したい若者が多いのだと思う。

 

人間において結婚とは単に種を保存するだけがその目的ではないと思う。特に高度に発達、発展した現代社会では、生きていく上での問題も複雑化しているし、そういう中で精神的支えになってくれる存在の有無が人生に及ぼす影響は大きいと思う。

 

この世界には約77億の人間がいて、その中からたった一人のパートナーと呼べる人と巡り合うのだからそれだけでかなり凄い事だと思う。更に高度な知能を持っている人間はその他の動物のように見た目だけで判断するわけではない。人間性や収入額、またそれだけでは計れない様々な要素を考慮し、更にその自分の条件に合った人、また比較的近い人の合意を得るわけで、お互いに合意が成立する相手と巡り会う確率を考えると本当に奇跡的な事だと僕は思う。

 

にも関わらず、少しのすれ違いやちょっとした価値観の違いで簡単に離婚してしまうのは、とても勿体ない事だと僕は思う。

 

(全ての離婚を否定しているわけではありません。)

 

特に昨今、熟年夫婦が離婚するケースが多い印象であるけど、何十年も一つ屋根の下で同じ時代を生きて、辛い事や嬉しい事を共に分かち合ってきたはずなのに、その時間を上回る離婚を決断させるものとはいったい何なのか僕には見当もつかない。

 

確かに人生いろいろで人間もいろいろあるから、その夫婦の事情もいろいろあるのだろうけど、人間みな完璧ではないのだから過ちだって犯すし、思っていたのと違う事もあるだろうし、それを何十年も許容してきて、今更離婚もクソもないだろうと思ったりする。

 

するんならもっと早い段階で離婚するべきであるし、それより一緒に共有してきた時間の方がどんなものより尊いはずであるし、一生のうちでそういう存在に出逢えた事が何より尊いと思う。

 

子どもが居るから離婚を躊躇うなら、たとえ子どもがいくつになろうと離婚するべきではない。その子どもが自分が親の人生を縛っていると思った時点で罪悪感を感じるし、それは成人していようといまいと感じるもので、何より何の罪もない子どもをその原因の所在とする事が大人としてやってはいけない事だと思う。

 

結局のところ何を理由にしても、自分の都合なわけで、本当に子どもの事を考えるなら離婚しない一択しかないし、離婚する人は子どもの事より自分の人生を優先している。もちろん人間なのだから自分の人生を優先する事は当たり前であるし、悪い事ではないけれど、そうであるなら子どもの存在が足枷になっていると感じさせるような発言はするべきではない。

 

もちろん離婚して幸せになれる人もいるし、実際幸せな人も知っているけれど、もう少し結婚するという事、結婚したという事熟考してもいいのではないかと思う。

 

それくらい結婚が尊い事であってもいいと僕は思う。