離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

おつとめの太鼓は本当にうるさいのか?

皆さんこんにちは!!

 

めっきり秋らしくなってきた今日この頃。いかがお過ごしですか?

 

離島の働く教会長!!です。

 

今回のテーマは《おつとめの太鼓は本当にうるさいのか?》です。

 

ネットで天理教を検索するとおつとめの太鼓がうるさくて寝れないという意見を見かける事があります。確かに「うるさいだろうな〜」と思います。しかし寝れない程うるさいのか?と言われると「そんにうるさいか?」と思うのです。それは参拝場で居眠りをしている人を(たまに?)見かけるし、僕自身も(たまに?)居眠り(というかガチに寝てしまう)事があるからです。という事で本当におつとめの太鼓はうるさいのかを考察したいと思います。

 

日本の騒音に関する基準は環境省によって定められいます。その規定によると、

 

住宅地の騒音基準は昼間で55デシベル以下、夜間で45デシベル以下となっています。

 

これ以上は騒音ということです。

 

因みに全くの音が知覚できない無音状態を0デシベルとして、日常生活の普通の会話レベルの音量が60デシベルほど。 100デシベルを越えるとかなりうるさい音量となり、130デシベルを超える音量になると耳に損傷を与える危険性があるほどの大音量となるそうです。

 

ついでに騒音に関するわかりやすい表があったので貼っておきます。

 

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環境省の基準によると昼間は55デシベル以上、夜間は45デシベル以上で騒音になるわけですが、表を見ると日常で普通に会話する声量が60デシベルなわけですから、人間はそんなに大きな音でなくても騒音と感じるようですね。

 

さて、それではここから、おつとめの太鼓は騒音になるのか?を考察します。とは言っても、おつとめの太鼓の音が何デシベルくらいなのかが分からないので、今回は和太鼓の音を基準に考察します。

 

和太鼓をバチで思いっきり叩くと約130デシベルの音が出るそうです。はっきり言ってめちゃくちゃうるさいです。前述しましたが、130デシベルを超えると耳に損傷を与えるレベルらしいのでかなりの大音量ですよね。太鼓の大きさや太鼓までの距離で音圧は変わるから実際には多少レベルは低くなるとは思いますが、それでも、騒音と言っていいレベルだと思います。

 

結果、《おつとめの太鼓は本当にうるさい》という結論に至りました。

 

しかし、おつとめを止める事はできないですよね。それくらい天理教の信仰者にとっておつとめは大切であるし、大切にすべきものです。という事でここからは対策を考えていきたいと思います。

 

前述した通り太鼓を目一杯の力で叩くと約130デシベルの音がでます。しかしながら、これは目一杯叩いたらです。手加減して叩けばこれより低く抑えられるはずです。じゃあどれくらいの音量で叩けばうるさくないのか、基準としては、日常会話の音量が基準になってくると思います。

 

音は音源までの距離が遠くなればなるほど小さくなりますよね。音と距離の関係の表を貼っておきます。

 

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上記の表を参考にすればどれくらいの音量で叩けばいいか感じが掴みやすいと思います。

 

例えば日常会話の声量レベルの音、60デシベルくらいで叩けば2m離れれば54デシベル、4m離れれば48デシベル、になるわけですから、そこまでうるさいと感じる音にはならないはずです。

 

太鼓のサイズを小さくするという方法もありだと思います。特に大きい教会は太鼓のサイズもめちゃくちゃ大きいです。だから音も必然的に大きくなるし、手加減して叩いてもそれなりの大きな音は出るわけですから、騒音になる可能性は高いですよね。

 

おつとめをするのに、大きい、小さいはあまり関係ないと思いますし、太鼓のサイズを小さくするのはありだと思います。

 

住宅が密集している地域にある教会や都会に在る教会は既におつとめ時間を朝は遅く設定したり、夕は早く設定したり、太鼓は小さく叩くなどの対策を既にされていると思います。それでもやはり「うるさい」と苦情がくるのは、本当にうるさいわけではなくて、不気味だからだと思います。宗教の理解不足や偏見から些細な音などが不気味に感じるのだろうと思います。しかし、この不気味さは宗教である限り払拭できないと思います。というか宗教でなくても人間は知らない事やよく分からない事を不気味に感じるものです。だから本当にうるさいのではなくて、不気味だから止めてほしいが本音だと思います。もちろん、本当にうるさいと思われているケースもありますので、近隣住民への配慮は怠る事なく、不快感を与えない努力はするべきだと思います。

 

最後に、教会近隣に住む方々へ。

 

天理教のおつとめは自分ではない誰かの幸せやたすかりを願ってつとめられています。それは世界平和であったり、病気の平癒であったり。

 

おつとめは天理教信仰者の生活の芯です。不気味であるとは思いますが、ご理解の程を心よりお願いして終わりとします。