出直しとおさづけ!!
今年のはじめ母方の祖母が出直した。
その日は丁度、上級教会の月次祭で、おつとめが終わってすぐその報を受け取った。
すぐにおつとめ着を着替えて、病院に向かった。
教会を出発する時、上級の会長さんに亡骸におさづけを取り次ぐようにと言われた。
僕は「なんで?」と思った。
確かに出直しの際に亡骸におさづけを取り次ぐのはよく聞く話しではある。しかし僕の認識としておさづけはあくまで生きた人間に取り次ぐものという認識なので、何故上級教会長がそんな事を言ったのか理解できなかった。
無論、出直し直後、どうしても命を延ばしてほしいのなら理解できる。しかし祖母は高齢により身体機能が落ちた事による肺炎。天寿を全うしたと僕は認識している。その場合、おさづけを取り次ぐ必要はあるのだろうか?
おさづけは、病む人にその病いの平癒を願って取り次ぐ効能の理である。つまりおさづけは病む人間に取り次ぐ為に授けられるものであると言えるだろう。
大なり小なり人は必ず病むし、必ず出直す。全く病まない人間はいないし、出直さない人間もいない。これは厳然たる天然自然の理(ことわり)である。
病いは人間の心の成人を促す為に見せられる姿である。でありながら親神様はそれを打ち消す術も授けられている。ここに人間の成人を促される厳しさと子ども可愛い親心の葛藤とジレンマを感じずにはいられない。
出直しは病いではなく御守護だ。魂の成人に欠かせない御守護であると僕は思う。
その尊い姿に人間の情から何かを足そうとするのは野暮だと思う。
本来の性質を人間の情で朧にしてしまうのはやはり違うと思う。それがどんなに人間的に素晴らしい姿であっても、ズレているものはズレている。それは取るに足らない小さなズレなのかもしれないが、そういう小さなズレの積み重ねが後々の大きなズレに繋がるのではないだろうか。
今一度親の教えの本質を見つめ、人の情で濁らせるような事をしてないかを問いたい。
やるならせめて、自分の中で完結し、他に影響を及ぼさないように配慮すべきであると思う。
最後にこれはあくまで個人の見解と認識によるものである事を申し上げて締めとする。
終