離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

航海実習!!

皆さんこんにちは!!

 

段々と気温が上がりはじめ、夏の気配を感じる今日この頃、いかがお過ごしですか?

 

離島の働く教会長です!!

 

今回は、天理教 とは少し離れて、僕の学生時代の体験を綴りたいと思います。

 

目次

 

 

 

勉強嫌いだった僕

 

中学生時代、僕は本当に 勉強が嫌い な子供でした。どれくらい嫌いだったかというと、宿題をまともにやって行った記憶があまりありません。特に 春休み、夏休み、冬休み などの長期休暇は、始業式の日に先生に怒られるのが定番だった程です。グレたりとかではありません。ただ単に勉強が嫌いだっただけです。

 

3年生のある日、進路相談で担任の先生から「おまえの行けそうな高校は無い」と言われました。僕は勉強が嫌いだったので 高校 に行く気は端から無く、「高校に行く気は無いです」と言いました。すると先生からコンコンと説教される羽目になり、親にも連絡され、親からもコンコンと説教され、「高校だけは出ておけ」と言われました。

 

僕は、勉強嫌いではありましたが、グレていたわけではなく、親の言う事はとても良く聞く子でした。まぁ単に親が厳しくて面倒くさいだけだったんですが。。。

要は面倒くさがりの究極の イエスマン だったのです。なので、仕方なく 高校 を受験する事にしました。しかし特に入りたい高校もなかった僕は、高校を選ぶ事ができませんでした。当時僕はそれくらい 学ぶ ということに 無頓着 だったのです。特に未来への 展望 を持っているというわけではなかった僕。しかし、それでも 生きていかなければならない という本能的なものはあり、この世界で生きていく為に必要なものを考えました。そして行き着いた答えは 収入源、つまり 仕事 です。何の取り柄もない僕が仕事を得るには 何かしらの資格 を得た方がいいだろうと言う結論に達しました。

 

僕が生まれ育ったのは 瀬戸内海 の 島 です。島の生活に欠かせないもの、それは 船 です。島の外に出るには船に乗るしかありません。また、父親は定期フェリーで働いていた事もあり、船乗りは僕にとって最も身近な仕事でした。

 

「よし、船員の資格を取ろう!!」

 

と思った僕は、船員の資格が取れそうな学校を探しはじめました。船員の資格が取れる学校と言ってもどんな船の船員になるのかによって様々な種類があります。

 

主に漁師を養成する事を目的とする 水産高校、日本の国内航路の船員を養成する事を目的とする 海員学校主に外国航路の船員を養成する事を目的とする 商船高等専門学校僕は 商船高専 に行く事にしました。理由は、何となくです。しかし今思うのは、この何となくの判断は間違ってなかったということです。色々な意味で。。。

 

商船高専は日本に5校あって当時は全て 国立 でした。その中から瀬戸内海にある学校をピックアップし、更に レベルの低そうな方 を選んで受験しました。結果は見事に合格です。当時、先生たちは、僕が国立の高専に合格する事はまず無いだろうと思っていたらしく、合格の通知が来た時、まだ授業中であったにも関わらず、職員室にいた先生が猛ダッシュで教室に飛び込んできて、合格の報告をされたのを今も鮮明に覚えています。僕は勉強は嫌いでしたが、できなかったわけではないのです。やらなかっただけで、やれば実はできる子だったのです。

 

実は、商船高専に入ろうと思った最も大きな理由は、実習で海外に行ける と書いてあったからです。当時、人並みな生活をしていたとは言え、旅行 なんて 遠足や学校の研修、修学旅行 くらいしか経験がない当時の僕にとって、実習とは言え海外に行けるというのは大きな魅力でした。勉強よりも海外に行きたいというとても不純な動機なのです。

 

 

学校生活

 

 

学校生活は良くも悪くもいい経験でした。高専高校 専門学校  をミックスしたようなシステムで、3年生までは主に一般科目を学び、4年生から専門性の高い授業が増えます。1年生は中学校卒業したての15歳、5年生は成人間近若しくは既に成人している人たち。はっきり言って歳の差があり過ぎて世界観が全然違います。なかなかに先輩達には気を使ったものです。下手な事をすると 可愛がられ ますからね。。。

 

勉強は相変わらず嫌いでした。なので成績は常に底辺、サブマリン状態 でした。しかし、留年する事なく卒業できたのは、優秀な友達に恵まれた事と、優秀ではない友達に恵まれた事、そして寮生活であった事が大きな理由だと思います。

 

寮生活の良いところは、四六時中友達がすぐ近くにいるという事です。つまり、分からないところは優秀な友達に手軽に教えてもらいに行けるんです。そして、テスト前になると優秀ではない友達が先輩から過去の問題を調達してきます。つまり、優秀ではない友達のところで過去の問題を調達し、優秀な友達に教えてもらう。このシステムがなければ、僕は間違いなく、卒業できてはいないでしょう。それでも毎年 追試 のレギュラーメンバーだったので、春休みは半分潰れていました。しかし、それが功を奏して、春にある 天理教 の行事には参加しなくて済みました。当時は 天理教 は大嫌いだったので。。。

 

 

航海実習

 

 

商船高専を卒業する 3級海技士 という資格の筆記試験が免除になります。海技士の資格は 6〜1級 まであって、1級が最も大きな資格で外国航路を走るような巨大な船の船長ができます。6級の試験は筆記試験だけですが、5〜1級の資格には筆記試験と口述試験があって、両方をパスしないと取得できません。口述試験を受けるには 実務経験 が3年(現在は2年)以上必要です。その実務経験を免除する為に、1年間の実習を同等のものとしてくれるシステムがあります。それが 独立行政法人航海訓練所 での 航海実習 です。そこでの実習の後、口述試験をパスすれば海技士の資格が取得できます。

 

航海訓練所では、高専での単位を取得した全国にある5校の学生たちが一緒に実習を行います。

 

カリキュラムは帆船での実習が約6ヶ月、タービン船での実習が約3ヶ月、ディーゼル船での実習が約3ヶ月の約1年間です。

 

航海訓練所には帆船は2隻あります。日本丸海王丸 です。僕たちの年は 海王丸 で実習しました。船は東京から乗船するように案内がありました。人生初の上京です。初東京です。今まで、瀬戸内海の島、上っても奈良県までしか行った事のない男が、はじめて東京砂漠に降り立つわけです。今まで山と海に囲まれて育ってきた者にとって東京はまさに異世界でした。「ここは日本か?」と思える程に。

 

右も左も分からないという表現がぴったりな程見事に迷子になりました。仕方なく人生初タクシーを使う事にしました。タクシーの運転手さんに場所を伝えるとものの10分程度で目的地に着きました。「世の中にこんな便利な乗り物があるのか?」度肝をぬかれたのを今も覚えています。

 

 

 

帆船実習

 

 

航海訓練所での思い出はいっぱいあるけど、印象が強いのは 帆船 海王丸  での実習です。

ちょっとマニアックな話しになりますが、帆船にも色々な種類があるのですが、大きく分けると3種類になります。スクーナー型、バルカン型、バーク型 です。スクーナー型は切り上がり性能に特化していて、比較的小回りが利きます。バーク型は小回りは利きかないけど、直線の伸びがよく、船速に特化した型。バルカン型はスクーナー型とバーク型の中間、バランスの良い型です。

 

帆船 海王丸 は  バーク型、最高スピードに特化した型です。

 

総トン数は約2,500トン、全長は約110m、マストの高さは約50mです。印象としては デカイ です。

 

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乗船して3日目にマストの1番高い白くなっているところまで登らされます(通称、ロイヤルタッチ)。理由はマストに登れないと実習が成り立たないからだと思われます。一応安全帯は着けていますが、登っている最中は使用しないので、丸腰状態です。普通に恐いです。落ちたら死にますからね。。。

実際転落事故も過去にはあったみたいです。帆船実習は 命がけ なのです。

 

帆船実習 と言っても船にはエンジンが装備されていて、エンジンを使用して走る 汽走 が殆どです。しかし、最後の3ヶ月は、実習の集大成として、日本〜ハワイ間を 帆走のみ で横断する 帆走実習 があります。

 

 

僕達の年は年明け4日に横浜の港から出航し、東京湾を出てある程度までは汽走で航行し、次の日くらいに 展帆 し、帆走 に切り替えたと記憶しています。

 

帆走とは、帆を張って風の力を利用して航海するということです。勿論エンジンは停止しています。(発電機は運転しています。)

 

凄く静かです。しかし、帆走中は船体がリーサイド(風下側)に常にやや傾いている状態になります。風が強ければ強いほどその傾きはきつくなります。常に地面が斜めっている生活です。

 

航海中は航海当直に入ります。実習生は3班に分かれて、0〜4時、4〜8時、8〜12時3パターンの当直に入ります。基本 当直実習 がメインですが、当直はローテーションで変わり、ローテーション日に座学の授業が組み込まれたりします。1班約10人の班が6班あり、2班づつ合同で同じ当直に入ります。帆走実習は、展帆と畳帆、ヤードの向きを変えたりを繰り返しながら航行する為、思いのほか人でがいります。当直班で間に合わない場合は、休憩している班が応援に入ります。

 

帆船は常に全ての帆を広げて走るイメージがあると思いますが、そんな事はありません。寧ろ全ての帆を広げて走る方が稀です。帆走は当然ながら、風がないと推進力を得られないので、できる限り 低気圧 を追って航海します。なので基本毎日 台風並み の嵐です。風が強すぎると帆が破れる可能性が高くなるのと船速を安全域に調整する為、帆を縮帆し、畳帆します。縮帆はデッキでロープでできるようになっていますが、畳帆の為にはマストに登って 綺麗に畳み固縛しなければなりません。帆は高いところのものほど破れやすいので風が強すぎると必然的に何人かマストを登って畳みに行かなければならないのです。

 

登り降りはウェザーサイド(風上)から行います。風が強いと船体がリーサイドに傾いている為マストも垂直より若干傾いているので意外に登りやすいです。風も強いので身体がマストに押し付けられる力が働いたらいていて、何となく安心感は高まります。(でも作業中はめっちゃ恐いです。)マストの上の方に行けば行くほどデッキにいる人がアリンコみたいに小さくなります。下で教官に指示されても何を言っているのか全く聞こえません。だから作業はいつも テキトー です。でもあんまりテキトー過ぎると後から乗組員の方が登って手直しをしなければならなくなります。所謂二度手間です。あんまり多いと怒られます。

 

航海中は基本毎日嵐なので、デッキには安全ロープが張り巡らされていて、それを掴んで移動します。波高は約10m。落水したら間違いなく行方不明になって死にます。

僕たちの年は船長の腕が良かったのか比較的順調に風捉えることができて、予定よりずっと早くハワイに着いてしまいそうになり、1週間くらい時間調整で海を漂っている状態がありました。早く着いたからと言って早く入港できるわけではなく、やっぱり申請を出した日にならないと入港できないのです。漂っている状態の時は本当に 暇 でした。しかし ピースフル でした。ホエールウォッチングとか普通にできました。船にイルカやクジラが寄ってくるのでウォッチングしなくても普通に見れます。

 

ハワイ沖に到着すると入港手続きが済むまで、錨泊 して待機します。その時に無事にハワイに到着できたお祝いに 宴 がもようされます。

今思えば、あれこそまさに 宴 でした。あの時の 宴 に比べれば、巷の 宴 などただの遊び事だと思えるほど 宴 でした。喩えるならもっとも近いイメージは ワンピース の宴です。羽目を外す とはまさにあの事を言うのでしょう。無礼講 の世界がそこにはありました。

 

 

僕が学んだ事

 

 

この帆船実習で僕は日常生活では経験できない事を数え切れないほど体験し、学ばせていただきました。その中で最も強く感じたのは 人間の無力さ と ちっぽけさ でした。

 

世界は繋がっています。どこまでも果てしなく。境界線なんて地図の上での  です。リアルに 国境 などありません。そんなちっぽけな概念が馬鹿馬鹿しくなるほどに世界はどこまでも繋がり、広がり、全てを包み込んでいます。僕たちの ルーツ はきっと一つです。

 

帆船 はどんなに船長が優秀だったとしても、1人では動かす事ができません。多く人たちの強力な協力があるからこそ動かせます。そして何より この世界が生み出す力 無しに動かす事は出来ないのです。

 

きっとこの世界も協力し合わなければ生きていけないようになっています。その為に必要な事は 自分の無力さ を知る事と、お互いが理解し合いたすけあう事 ではないかと思います。

 

僕たちの住む国、現代日本は、便利過ぎるほど便利な世の中です。その便利さが、人間1人1人を高慢にしている のではないかと思います。この日常は まやかし です。世界の本質は僕たち人間が測りきれない程 雄大で壮大 です。その本質の上にこそ まやかし は成立し得るのです。その事に気づく人たちは 自分の無力さ を知っている人たちだと思います。そしてこの現代日本には 自分の無力さ を知らない人たちが多すぎる。僕はそう思います。

 

僕たちが今、認識すべきは、この当たり前の日常が如何にまやかしであるか」という事ではないかと思います。ちっぽけな人間が、1人1人好き勝手に生きて、それで世の中が回る程、たぶん世界は甘くない。僕はそう思います。

 

おしまい!!