いさむ!!いづむ!!
皆さんこんにちは!!
今回は教内でよく使われる言葉、《いさむ》と《いづむ》について思案します。
よろしくお願いします!!
突然ですが皆さんは、このいさむといづむという言葉をどのような場面で聞いたりまた使ったりしますか?またこれらの言葉を正確に理解している自信はありますか?
正直僕にはこれらの言葉を正確に理解している自信はありません。勇んでやりましょう!!とかいづまんようにしよう!!とか言われたり、また自分自身も言ったりするけど、
「どういう意味ですか?」
と聞かれたら正解を答えられる自信はないです。そもそも教内においてこれらの言葉を「どういう意味ですか?」って聞いてくる人っていないですよね!?たぶん聞くのが恐いからだと思うんですよね。知らないともぐり扱いされそうで。。。
それくらい日常的に使われる言葉いさむといづむ。でもだからこそ曖昧な言葉であると僕は思います。
いさむという言葉は教内だけではなく、教外においても一般的に使われる言葉だし、言葉のイメージも何となく掴みやすいと思いますが、いづむに関しては、一般的に使われている言葉ではないですよね!?
このいづむという言葉は大和弁です。なので全国で通じる言葉ではないです。大和地方の方言ですから。。。なので方言を専門的に勉強しない限り正確な意味を知る事はできないです。
そもそも天理教は大和弁で説かれています。大和の人(?)が大和の人たちを対象に説かれたのがはじまりなのだから当然と言えば当然です。なので天理教の教えを正確に理解しようと思うならまず大和弁を理解しなけばならないです。
皆さんは大和弁を勉強した事がありますか?
ぶっちゃけ僕はありません。だから先輩たちが使っている言葉をイメージで理解しています。何となく理解しているんです。でもこれってよくよく考えたら危ない事ですよね。教えが正確に伝承されない原因になりかねないです。言葉の意味を正確に理解する事は教えを理解する事と伝承していく事においてとても重要な要素になると思います。
それではいさむという言葉について思案して行きたいと思います。
僕のいさむの言葉のイメージは何となく明るい感じです。生気とやる気が漲っている。そんなイメージです。皆さんはどうでしょうか?
いさむの言葉の意味は
精神の力が強くさかんである。物事に恐れない。いさましい。いさむ。
だそうです。
僕のイメージも強ち間違いでは無さそうです。
強い精神力で臆する事なくもの事に立ち向かっていく状。
これがいさむという言葉で表現される状態だと理解します。つまりこれはチャレンジ精神に通じるものがあると思います。果敢にチャレンジしている姿は正しく勇んでいる姿と言えるのではないかと思います。
次にいづむという言葉について思案します。
僕のいづむという言葉のイメージは、何となくどんよりと暗い。落ち込んでいる。そんなイメージです。皆さんはどうでしょうか?
いづむの言葉の意味は
「いじける」「萎縮する」という意味で、文脈によっては「差し控える」という意味にも用いられる。
だそうです。
※因みにいじけるとは「寒さやこわさのためにちぢこまって元気がなくなる。すくむ。臆病(おくびょう)で消極的な性質になる。」
僕のイメージとは少し違うみたいです。
落ち込んでいるというよりは、怯えている。ジレンマを感じている状態を表現している言葉のようです。ただ差し控えるにおいては萎縮し臆病になっている状態と状況や雰囲気から敢えて差し控えると判断する場合があるので必ずしもネガティヴなイメージとは言い切れないですが、それでも場面的には萎縮して臆病になった結果差し控える場合の方が多いと思いますので、ネガティヴなイメージが強めな言葉になると思います。
僕、思うんです。教内においていづむ場面って結構あるなって。萎縮やものおじして思ってる事や言いたい事を飲み込んでしまう場面って結構ありますよね!?僕にはあります。これってやっぱりいづんだ姿になると思うんですよね。
でもこれだけ組織化された団体になると少なからずパワーバランスも生じると思うし、いづまないでいる方が難しいんじゃないかと思います。それが人間の性(さが)なんだろうし、これからの課題なんじゃないかとも思います。
今回は《いさむ》と《いづむ》について思案しました。言葉の意味がイメージ通りなところもあったし、そうじゃないところもあって良き学びになりました。こういう言葉の意味が正確に理解できていないところはまだまだあると思うので気が向いたらまた思案していきたいと思います。気が向くかはわかりませんが。。。
おしまい!!