離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

変革の旬!!

皆さんこんにちは!!

 

新型コロナウイルスも大分落ち着いてきた感があるというか人間がこの状況に若干疲れはじめてる感というかピークよりは幾分かマシだけどまだまだ油断はできない今日この頃。いかがお過ごしですか。

 

離島の働く教会長です。

 

今回は、「受け継がれるべきもの、変わるべきもの」について思う事を綴ります。

 

 

目次

 

 

世界の変革期

 

今、世界は大きな 変革期 に入っているのではないかと感じます。それを連れてきたのは間違いなく新型コロナウイルス COVID-19 でしょう。このウイルスが蔓延してからこちら、世界の様相は多きく変わりはじめています。

 

勿論それは 天理教内 も例外ではありません。本部行事は軒並み中止、各教会での行事も自粛するよう本部から御達しが出ています。今まで何も考えなくてもその日がくれば何の弊害もなく務める事ができていた  月次祭 も月々の感染状況を観ながら、感染リスクを出来るだけ抑える為の配慮をしなければならなくなりました。

 

おそらくこのウイルスが 完全に終息する なんて事は起きないと思います。これまで行われていた 月次祭 のスタイルに完全に戻る事は不可能ではないにしろ、かなりの時間が掛かるのではないかと推察します。そうなると 必然的 に今までのスタイルを変えざるおえません。

 

月次祭 だけではなく、これまで行われていた諸行事も大幅に見直され、スタイルを変えるか、中には存在自体が無くなるものも出てくるのではないかと推察します。

 

この状況を思案する時、やはり今までのやり方を見直すべき 旬 なのではないかと思うのです。今まで何の弊害もなく、できていた事ができなくなるような事象が発生したその時、考えなければならないのは 本当にそれが目的を達成する為に必要な事なのか? ではないかと思います。

 

それを 判断 する為には、その物事の 本質 を理解していなければならないと思います。しかし、長く 習慣化 された物事はその 本質 がボヤけてきます。結果、本質 を掴もうとする事なく、その物事に意味があるという思考に陥りやすくなると同時に、変化を嫌う人間の心理も相まって 形 を変える事を何らかの理由をつけて拒もうとする傾向が強いです。その物事が 習慣化 されている状態に長く居れば居る人程、その傾向は強くなるのではないかと思います。

 

 

形は変えていくべきもの

 

 

自然の摂理としてある状態から全く変化がないという事はあり得ないと思います。仏教 の始祖 釈迦 の説いた 諸行無常 は本当に 真理 を突いていると思います。僕たち自身も僕たちを取り巻く環境も緩やかではありますが、確実に刻々と変化しているし、今この瞬間もし続けています。それは、人間が 進化 を望むからだと思います。人間は身体的にはかなり完成された生物だと思います。なのでこれからも急激な身体的進化はたぶん怒らないでしょう。しかしその代わりに 環境的進化 を望み、それを可能にするだけの 知能 を有しています。なのでこれから先も環境は常に 進化 し続けていくのではないかと推察します。環境が変われば人々の 価値観 が変わります。価値観 が変われば ニーズ が変わり、その ニーズ が新たな価値観を生む。このサイクルの中で人間世界の環境は現状まで 進化 してきました。そしてそれはこれからも続けていく事なのでしょう。

 

環境を変える事は システム を変える事。そう考えるなら システムを変える事なしに環境的進化はあり得ない ということになると思います。

 

教内 には 理の親 という 信仰的解釈 があるので一旦確立してしまった システムを変革する事 は中々に難しいです。信仰 において 親 は 絶対的存在 だからです。なので教内のシステムは 理の親 という解釈が生まれてからこちら、あまり大きく変化していないはずです。しかし、現代社会において、その システム が機能しなくなりつつあります。しかしそれは当然の結果だと僕は思います。何故なら 変化する という 自然の摂理 に反する事であるからです。確かに 親 の言葉は大切です。しかし 親の創ったシステム はその親が生きてきた時代の環境の中で親が感じ構築したものです。今は親が生きてきた時代の環境とは異なります。僕たちは今の時代の環境で生きています。ならば今の環境に適応できるようなシステムを再構築する事は必須です。

 

新型コロナウイルスにより、世界は強制的に システム を変革しなければならない状況になっています。このような状況になってきたという事を 信仰者 として真摯に受け止め対応していかなければいけないのではないかと思います。

 

 

受け継がれるべきもの

 

 

世界を動かしているもの。それは 思想や理念、そして 意志 です。この世のどんな もの にもその にはこれらの 概念 が必ずあります。しかしこれらの 概念 は目に見えるものではないので非常に 認識 しづらいです。目に見えるものしか追わない傾向が強い現代人には尚更だと思います。現代人、特に若い世代は 抽象的な概念 を理解する能力がおそらく低下しています。

 

目に見える形 思想や理念、意志 などの 概念 を具現化したものにしかすぎません。その 具現化 はその 概念 が生まれた時代の環境の 影響 を受けています。確かに当時は その形 がベストだったのでしょう。しかし時代の流れと共に人間は環境を 進化 させています。よって今の時代では その形 が必ずしも ベスト ではありません。もし ベスト を求めるなら、形は変化させ続けるべきです。時代に合わせて。。。

 

しかし闇雲に変化させればいいというものでもありません。何の為に変化させるのかを 明確化 する必要があります。

 

何故変化させるのか?

 

それは 本質 を 継承 する為です。本質 は 確信 であり 真理 です。故に 不変 です。そしてその本質 継承 する為には、その 本質 を理解するという作業をしなければならないと思います。

 

それを理解する為には、その 本質 が生まれた 背景 や 状況、経緯 を学ぶ必要があると思います。あくまで変えるべきは 形 であって 本質 ではありません。何故なら 本質 は先人たちが残してくれた世界と僕たちの未来をより良くする為の 財産 であるからです。

 

本質を変えようとする事は進化ではなく破壊であり、愚行です。

 

本質 とは 思想 であり、理念 であり、意志 です。これらの 概念 は抽象的であり、故に理解し難いものです。しかしこれらの 概念 こそ人間が求める 確信 であり、真理 であると思います。ならばこれらは 受け継がれるべきもの なのではないかと僕は思います。世界や僕たちの未来をより良くする為に。。。

 

 

最後に

 

 

形は変えるべき!! 

 

こういう事を言うと 古いものは全て変えてしまえばいい と理解する人たちがいますが、それは間違いです。何故なら既に ベストな形 であるものや 必須の形 であるものもあるからです。

 

それらを選別する為にはやはり 本質 を見抜く力が必要だと思うし、それを得るには一定水準の 知識 と 経験 が必要だと思います。なので 知識 や 経験 を得ない人による 改革や変革 はありえません。それら を得ない人ができるのは 改革や変革 ではなく 破壊 です。新たな形を一から創造するだけの力があるなら 破壊 も良いかもしれませが、そんな力を持っている人は稀で殆どの場合、破壊 が連れてくるのは 破滅 です。なので 破壊 をしようとする人は 自分が創造する力を持っているのか? をまず熟考すべきだと思います。

 

まあしかし、改革や変革 をするにしても 熟考 は 必須 であると思うし、一変するようなやり方はするべきではないと思います。改革や変革 のつもりが 破壊 になってしまう可能性も無きにしも非ずです。段階的に徐々に推し進めていくのがベストであると思います。

 

その形を維持する事 = 信仰 ではありません。形はあくまで信仰を具現化したもの。そう考えるなら、現在のこの状況は 信仰を見つめ直す旬 なのかもしれません。

 

おしまい!!