それはチャンスを摘む行為!!
皆さんこんにちは!!
今回は「それはチャンスを摘む行為!!」と題して、僕が 天理教の信仰者 として勘違いしていた事を綴ります。
親孝行において
まず、親孝行について、僕は今まで、「子供の脛を齧る親は最低だ!!」と思っていました。しかし、それは 大きな勘違い でした。また最近は子供の為を思って 重荷になりたくない、世話を掛けたくない と思っている 親御さん も多くおられる思いますが、ハッキリ言ってその思考も信仰的には 勘違い であると言っておきます。
天理教 は 親孝行 を重んじる教えです。天理教青年会100周年記念のスローガンに「親孝行、夫婦仲良く陽気ぐらし」と謳われるくらい、とても大切な 理念 なのです。いつかのブログでも書きましたが、親孝行 が成立する条件は、親が喜んで子供を連れて通る事 です。
親がただ喜んで子供を連れて通る事 だけでも十分、親孝行 の条件を満たしていて、それだけで子供の 魂 には 徳 が積まれていくと思います。 ただ、そこに たすける という要素を加味してあげれば、更に大きな 徳積み ができるのではないでしょうか。つまり、困った時に、子供にたすけて貰う という事です。そして、たすけて貰ったら、「ありがとう」と言って 目一杯喜ぶ。そうする事で 子供は魂に大きな大きな徳を積む事ができるのではないかと考察します。つまり、子供の重荷になりたくない、子供に世話を掛けたくない と言う思考は、子供が大きな 徳 を積む チャンス を摘み取る、まさに 愚行 とも言える行為ではないかという結論に至ってしまいました。
「親への孝心は月日への孝心と受け取る。」
たすけられる事において
また、僕を含め、天理教の信仰者 は人にたすけられる事を快しとしません。身上の障りや事情の縺れが自らが積んだ 埃や悪いんねん が原因であるという認識が、自己肯定感を下げるからであると推察します。しかし、これも 勘違い です。埃や悪いんねんを積む事が悪い事だとは親神様 は一言も言っていません。それに埃や悪いんねんは全ての人間の人生に付き纏うものであり、無い方が寧ろ浮世離れしている 変人 です。故に自己肯定感を下げる要素はナッシングです。
自分が たすけられる側 になるという事は、他の誰かが たすける側 になるという事です。それ即ち、たすける側にたすけの理が働いて、それにより、たすける側もたすかるのではないかと考察します。つまりおふでさきで歌われている
わかるよふむねのうちよりしやんせよ
人たすけたらわがみたすかる(3-47)
の 人たすけたらわがみたすかる の部分がたすける側に巻き起こる事になるのではないかと思います。つまり、たすけて貰う事でたすける側をたすけている事になる と考察します。故に、たすけて貰う事を拒否する事は 他人が人をたすけるチャンスを摘む という 愚行 とも言える行為になるのではないかという結論に至ってしまいました。
最後に
今回の考察は、今日、夕づとめをしている時に、ふと思いついた話と、その後自教会の信者さんから「おさづけを取り次いでください」との申し出があったので、その折にお話しさせていただいていた時にふと思いついた話をまとめたものです。皆さんの悟りの一助となれば幸いです。
ご拝読ありがとうございました。