離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

僕の教理研究①

皆さんこんにちは!!

 

僕です!  (名前が長いんで、すみません!)

 

とりあえず僕の生い立ちシリーズが 完結 してホッとしています。

 

これからはぼちぼち更新していこうと思います。

 

と言うことで新章を ゆる〜く はじめていきたいと思いま〜す!!

 

題して  僕の教理研究  です。

 

天理教の教理を僕なりの解釈でまとめて紹介します。

 

第1回目は 【一れつきょうだいの理】についてです。色々な人に聞いて得た情報と原典をもとに、自分なりにまとめて紹介したいと思います。

 

理の親 についても触れています。自分的にはなかなかのチャレンジですが、勇気を出して挑みます。

 

目次

 

 

それではまいりましょう!!

 

 

【一れつきょうだい】


お道では人間は皆、親神様の子どもであり、きょうだいであると教えられます。

 

おふでさきでも

 

このよふを初た神の事ならば

せかい一れつみなわがこなり(4-62)

 

せかいぢう神のたあにハみなわがこ

一れつハみなをやとをもゑよ(4-79)

 

せかいぢういちれつわみなきよたいや

たにんとゆうわさらにないぞや(13-43)

 

と歌われています。

 


しかし、このきょうだいという理はいったいどういうことなのでしょうか。信仰においてのきょうだいとはどのような関係性なのでしょうか。わかっているようで、いまいちわかっていない。それが 一れつきょうだい という理だと感じます。

 

きょうだいの言葉の意味は

 

「同じ親から生まれた間柄の者。また、結婚などの結果、同じ人を親と呼ぶ間柄になった(夫・妻以外の)者。」

 

だそうです。

 

確かに 元初まりの話 で人間は皆いざなみのみことから産まれていますからきょうだい という表現は理解できます。しかし、僕はこのきょうだいという言葉にもっと深い親の想いを感じます。

きょうだい 平等 と捉えている人もいると思いますが、それはちょっとニュアンスが違うと僕は感じます。

 


平等 であると表現したかったのであれば 平等 という言葉を使われていたと思います。

 


平等 という言葉は元々仏教用語であり、平等院鳳凰堂の名前の由来にもなっている言葉です。平等院鳳凰堂は1052年に開かれた寺院ですからそれより前から使われていた言葉であると推察します。立教当時、奈良県は、仏教が盛んに信仰されていたと推察でき、故に 平等 という言葉もそんなに難しくなく理解できた言葉だと推察します。

 


おやさま 平等 という言葉を使っておられないということは、 平等 という言葉がお道の教えを説く場合において不適切な表現 だったのだと推察します。

 


きょうだい という間柄において、絶対的な条件。それは兄や姉がいて弟や妹がいるということだと思います。

 


そしてそれぞれに担う役割も違います。この事をまず理解し、心に治めなければならないと感じます。

 


しかし、役割が違うだけで、どれが偉いとかはないと考えます。

 


おさしづでも

 

何が何役という名は無い/\。勝手に付けたもの。このぢばへ尽した運んだ者引き出して居る中、高い低いは無い。一列隔て無いは、教祖の道と言う。(明治三十三年十二月四日)

 


と言われています。

 


つまり高い低いは無いがお互いがそれぞれの役割を尊重し合い補い合うのがきょうだいの関係だと解釈します。

 


人間お互いはきょうだいの間柄であってそれ以上でも以下でもありません。

 

 

【理の親】

 

 

しかし、これを複雑化しているのが 理の親 教理です。

 


教会長を 理の親 として信仰するという考え方ですが、これが 一れつきょうだい の理をややこしく しています。

 


理の親 という言葉は おさしづ に一度だけ出てきます。

 


さあ/\尋ねる事情/\、どうも身上に心得ん。心得ん理いかな理であろ尋ねる。事情尋ねば、一つさしづ。よく聞き分けて、めん/\心に治めてくれ。これまで長らえてめん/\治め方通る処、治まったる。治まったるやこそ、何か順序。他に分教会順序これまでそも/\であったやろ。何か事情心に掛かったやろ。一時事情前一つ理はもう無くなった理、又改まりた理は、道順序の理。道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。出越したる処心に掛かる。何処と言わん、心に掛かる。心に掛かる事無きよう。楽しみ以て一日の日も悠うくり。身に一つ事情は案じる事要らん。日々万事事情心通り受け取ったる/\。楽しみ通りこれまでどうも分かり難ない。どうなろうか知らん、どうしたらよかろ、どうも心いずみ切り、一寸どうなろと言うた日もあったやろ。道に理治まったら、又身上不足無く、不自由無くば、心楽しむは道理であろ。さあ案じる事要らん/\。

(明治三十二年八月二十八日)

 


教会の事情において、道の順序の理について諭されているおさしづです。

 


この場合の道の親、理の親 おやさま を指していると解釈します。

 

また 三代真柱様 理の親 について

 

親(理の親)という言葉で言い表されるお方は、親神様 しかおられないということなのであります。

   親(理の親)という言葉で意味するお方は、教祖 以外にはおられないということなのであります。(中略)

   私たちの親(理の親)は、親神様・教祖 以外におられないのです。

〔みちのとも昭和47年3月号所収〕

 

と語られています。

 

この事から 理の親=教会長 という考え方は、お道の教理にはないと考えます。

 


教会長は確かに教会活動を推し進めていく上で、芯となる立場ではありますが、導く者というよりは取りまとめる者 という立ち位置だと感じます。

 


あくまで人間を導くのは親神様、おやさま であって、教会長は教会に寄り来る人達の想いや意見を取りまとめ円滑に活動を推し進められるよう尽力する。きょうだいの間柄でいえば、兄 姉 の立場であると理解します。

 


親は きょうだい が皆仲良く暮らす状を望むと思います。仲良く暮らす為には兄、姉は弟、妹に優しい心を掛け、弟や妹は兄、姉を敬い、立てる事が大切 だと感じます。そして、

 


おさしづでは

 


さあ/\皆引き受けて了わにゃならん、という一つの理を諭そう。一時どうであろうと思うやろう。よく事情を聞き取って、皆々談じ合うてすれば、どんな事でも出来て来る。話は生涯の理、話の理で繋ぐ繋がる。

(明治二十七年六月二十九日)

 


さあ/\皆談じ合うてくれ/\。一人も隠し包みは要らん。皆んなそれ/\事情以て話し掛けたら、こうなったという。身上に切なみ見て居られん。日々の曇り悩みは、なか/\大変長い間である。入り込んでだん/\諭す理から聞き分け。こうと言うても、又そうやないという事情を以て治めにゃならん。

(明治二十八年五月十日)

 


又世界という理、自然の理と諭したる。自然の理に成りて来たら、内々どうでもせにゃならん。年々通りよい理ある/\。これさあさあ長く持って、いつやらと言うて成って来たら、これは天然の理と言う。この理から皆々談じ合うて、談示の理に委せ置こう。

(明治二十九年十二月十三日)

 


これまでをやが皆通り来たる道、聞いても居る、見ても居る。皆談じ合うて通りてくれ。大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そうなる。親が怒って子供はどうして育つ。皆、をやの代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足して帰るのやで。どんな事も談示して満足さすよう。(明治二十一年七月七日)

 

といわれています。

 

お互い人間である以上、間違いは必ずあります。起こってくる身上や事情、またおやさまのひながた から教えを元にお互いがお互いの想いや意見を出し合い、活動を推し進めていくことが大切であると悟ります。

 

 

【親】

 

 

私は、人間には三種類の親があると考えます。

 

第一は、この世界と人間を御創造され、今もなお、変わる事なく守護し続けておられる、元の神、実の神であられる親神様 

 


第ニは、人間創造においての母親の魂を持ち、月日のやしろとして、親神様から同じ理を授けられ、陽気ぐらしのひながたを御自らお通りになられた「ひながたの親」おやさま 

 


そして第三は、今世、魂のいんねんから親子の間柄となっている いんねんの親 です。

 


いんねんの親 という言葉は、私が創った造語です。教理にはない言葉です。

 


信仰において、親とは親神様、おやさまだけですが、信仰において「いんねん」を悟り、その中で 悪いんねん を切ることは非常に大切であり、その観点から、今世、親子の間柄となってるお互いは非常に深い いんねん があると悟ります。

 


よって、今世の親に尽くすことは、親神様、おやさま に尽くすことと同等の意味を持つと考えます。

 


教祖伝逸話篇六二「これより東」には

 


明治十一年十二月、大和国笠村の山本藤四郎は、父藤五郎が重い眼病にかかり、容態次第に悪化し、医者の手余りとなり、加持祈祷もその効なく、万策尽きて絶望の淵に沈んでいたところ、知人から「庄屋敷には、病たすけの神様がござる。」と聞き、どうでも父の病を救けて頂きたいとの一心から、長患いで衰弱し、且つ、眼病で足許の定まらぬ父を背負い、三里の山坂を歩いて、初めておぢばへ帰って来た。

 


教祖にお目にかかったところ

 


「よう帰って来たなあ。直ぐに救けて下さるで。あんたのなあ、親孝行に免じて救けて下さるで。」

 


と、お言葉を頂き、庄屋敷村の稲田という家に宿泊して、一カ月余滞在して日夜参拝し、取次からお仕込み頂くうちに、さしもの重症も、日に日に薄紙をはぐ如く御守護を頂き、遂に全快した。

 


という話があります。

 


また一六「子供が親のために」には

 


教祖は

 

「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」

 

と、仰せ下された。

 

とあります。

 

今世の親に尽くす姿を親神様、おやさまは喜ばれています。お道において今世の親に尽くすことは親神様、おやさまにお喜びいただけることであると悟ります。

 


しかし、親がそれに胡座をかき、親孝行は当たり前だと思うのは違うと感じます。

 


おさしづでも

 


人間という、たゞ一代切りと思たら、頼り無い。人間一代切りとは必ず思うな。そこで一つ理がある。皆生まれ更わり、出更わりという理聞き分け。親が子となり子が親となり、どんな事もほんになあ、よく似いたるか/\。この一つ姓ありて現わしたる。この理聞き分けて楽しめ。こんな事ぐらいとしいかり定め。とても/\及んでからはどうもならん。日々不自由と思わず、心改め、しいかり踏ん張れ。しいかり踏ん張れば、未だ/\長いで、未だ/\長いで。

(明治三十四年九月二十三日)

 


といわれています

 


私たち人間は 一れつきょうだい なのであり、今世 いんねん によって親子の間柄になっているのだと理解し、心に治めて、お互いにたんのう の心で自分の 癖、性分 を取る努力をし、 悪いんねん をはたし合って、切る。これがお道の通り方だと感じます。

 

 

【最後に】

 


今日は、一れつきょうだい の理について思案し、自分の考えをまとめてみました。

 


人間は皆例外なく、親神様の子どもであり、 きょうだい であるということを心に治めることはとても大切なことだと感じます。

 


理の親 という言葉、そして 理の親=教会長 という認識は確かに教会長という立場、また、組織を運営するという観点からすれば、非常に使い回しのいいものです。

 

しかしながら、それは人間の都合がかなり混ざっている解釈だと感じます。

 


おさしづでも

 


双方の心にとって皆々高い低いの理は無い。ろっくな道なれど、勝手の理よりだん/\高低の理を拵え、あちらへこちらへ擦れ、心の理は散乱。たった一つの理を、兄弟一つの理、後より出けた理もあろまい。先へ出けたという理は無い。どうなろうと言うようになりてからは、どうもならん。

(明治二十八年五月十三日)

 

といわれています。

 


自分自身、教会長という立場を頂いたものとして、しっかり 一れつきょうだい の理を心に治めたいと思います。

 


理の親=教会長 という考え方自体を否定しているのではありません。個人の信仰信念としては非常に素晴らしい考え方だった思います。しかしそれをあたかも教理として使い回すことは僕は推奨しません。

 


実際、教理的に 理の親 という言葉はおやさまの意味以外で使われていませんし、そうである以上、それ以外の意味を孕む使い回しはすべきではないと考えます。

 


また今回、自分の考えをまとめるにあたり、 いんねんの親  という言葉を使いましたが、これも、私が創った造語ので教理にはありません。あくまで自分の考えをわかりやすく説明する為に使った言葉であるという事を理解していただきたいと思います。

 

これが僕の 一れつきょうだいの理 の解釈です。

 

これは1個人の解釈なので正しいわけではありません。こんな考え方もあるんだな!くらいで受け止めてくれたら嬉しいです。

 

ありがとうございました。