離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

おやさま御存命の理についての考察!!

皆さんこんにちは!!

 

今回は「おやさま御存命の理」について考察したいと思います。

 

おやさま の立場は 月日のやしろ、つまり 親神様 の入り込まれる 人間に神意を伝える為の器 と考えて問題ないのではないかと思います。つまり、親神様 の人間界での姿とも言う事ができると思います。

 

おやさま が 月日のやしろ にお定まりになられた理由は 元はじまりの話 の中で語られています。

 

この世の元初りは、どろ海であった。

 


月日親神は、この混沌(こんとん)たる様を味気(あじけ)なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

 


そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うを と み とが混っている。

 


夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引きよせ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

 

おやさま はこの人間創造において み (いざなみのみこと)の魂のお方であります。

 

天保9年陰暦10月26日は、最初に産みおろされた子数の年限が経った日。

 

庄屋敷村の中山家は、最初に人間が創造された場所。

 

これを 立教の三大いんねん と言います。

(屋敷のいんねん、おやさま 魂のいんねん、旬刻限の理)

 

おやさま は 月日のやしろ と言われる立場です。なので御在世当時は 親神様 の言葉を人間に伝えたり、親神様 の 力 を使って人をたすけられていました。親神様 の計画では おやさま は無くてはならない存在であったと思います。

 

しかし、明治20年陰暦1月26日、現し身を隠されてから後、おやさま は 月日のやしろ としての働きはできないわけです。何故なら肉体がないからです。よって、おやさま が御存命である理由がイマイチ曖昧です。何故 おやさま は御存命なのか?御存命でなければならないのか?

 

恥ずかしながら僕はこんな疑問を最近まで持っていました。しかしながら、もしかして という朧げな答えが見えてきたのでそれを考察していきたいと思います。

 

簡単に言うと、親神様 は直接的に人間世界に関与できないという推察です。それは人間の心に埃が積もっているからだと考えます。親神様 が直接関われるのは 純粋 なものだけなのではないでしょう?しかし、人間はその特性上、どうしても心に埃が積もってしまっています。だからたすけたくても、親神様 が直接、力を流すことができない。よって経由する存在が必要です。そして力を経由 する為に おやさま の魂を存命という形にする必要があるのではないかと考察します。

 

つまり、さづけの理の働きは 親神様 が直接働いているのではなく、おやさま を一旦経由している。つまり、おやさま が御存命だからこそさづけの理はその こうのう を発揮できていると考えます。

 

これは僕の勝手の解釈なので参考程度に読んでいただければ嬉しいです。

 

しかし、そう考えると、本席 飯降伊蔵 先生は心の埃が積もってない 純粋 な心の持ち主だったのではないかと推察します。

 

つまり、心に埃を積まない通り方も不可能ではないのではないかと考えます。

 

まぁしかし、その道のりはかなり厳しいと思います。先ずはしっかり埃を掃除できる よふぼく  でありたいと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。