離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

SNS時代に思う!!!

皆さんこんにちは!!

 

近年、コミュニケーションツールは目覚ましい程の進歩を遂げていますよね。僕が高校生の時はまだポケベルやPHSが主流でした。それでも僕みたいな経済的にあまり裕福ではない人たちは持てなくて、持っている人は本当に時代の最先端を行っている印象がありました。それが携帯電話が誕生してのち、その普及が劇的に進み、何処にいても、どんなに離れていても、携帯番号やメールアドレスを知っていれば、簡単に連絡が取れる世の中になりました。そして今や、時代はスマートフォンの時代に突入しています。それに伴い、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が急激に普及し、もう携帯番号やメールアドレスを知らない面識のない人たちとも、簡単に連絡が取り合えて、色々な人の価値観や様々な情報を簡単に共有、拡散できるというとんでもない時代に突入しています。

 

しかし、それは同時に、個人のプライベートや情報が他人によって簡単に流出、拡散される事により、プライバシーが侵害される危険性も孕んでいます。最も怖いのは、真実ではない情報や信憑性のない情報により、個人や集団組織の印象が操作される事でしょう。しかもこういう情報は、想像より急速に拡散します。それは、他人を貶める事によって、自己肯定感を容易に高める事ができるからだと思います。特に不特定多数が使用するSNSでは、著名人や特定の集団や組織など共通の人物やグループを嫌っている人達とも簡単に繋がれます。そして、自分と同じ敵を持つ人たちの繋がりは自分は一人ではないという安心感を生み、行為は段々とエスカレートしていきます。人間は自分と同じ境遇の人に強く共感し、その共感は自己肯定感を更に上げます。結果、自分たちこそ正義なんだというマインドに陥ってしまうからなのだと思います。

 

自分の正義を持ち、貫くことは素晴らしい事だと思います。しかし、その正義は誰かにとっての 悪 になる要素も孕んでいます。そして忘れてはいけない事は、「正義とはある特定のものを傷つけるものであってはならない」ということです。誰かを守る為の意志、それが 正義 です。その代償として誰かを傷つけていいという事ではありません。その情報や価値観を拡散、共有する事で誰かが傷つくのなら、それはただの 暴力 です。しかし、SNSはそういう道徳的な思考を鈍らせます。それはその特性上、罪悪感 を感じ難くするからだと思います。

 

SNSは、直接対面しなくても、自分の価値観や思想を不特定多数にぶつけられます。それは、言い換えれば、絶対に安全な場所から、不特定多数に石を投げつけているのと同等の行為です。そしてその安心感は自分が神であるかのような勘違いを生みます。要は 優越感 に浸れるわけです。しかし、気をつけなければならない事は、SNSの向こう側にいるのは 生身の人間 であるという事です。つまり、あなたが 正義 だと確信し、優越感 を感じたいが為に放った言葉で、酷く傷ついている人もいるし、人知れず命を絶つ人もいるという現実を知っていなければならないと思います。

 

自分の環境や境遇に対して理不尽さを感じる。それは多かれ少なかれ誰にでもある事だと思います。しかし、理不尽さを感じるからと言って他の誰かを貶めたり、傷つけていいという事にはならないし、そんな事をしても、あなたが感じていた、または感じている理不尽さは解決しません。言葉は人を幸せにする事もできれば、奈落の底に突き落とす事もできます。どうせ使うなら、周りの人がハッピーになれるような言葉を使えるお互いでありたいですね。最後にネット新聞の記事を貼っておきます。

 

https://www.asahi.com/articles/ASN3B72LCN3BPIHB028.html

 

ご拝読ありがとうございました。