離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

生きるって何なんだろ??

皆さんこんにちは!!

 

新型コロナウイルス騒動はなかなか終息の目処が立ちませんね。あちらこちらで自粛ムードにより大規模イベントの中止が相次いでいます。とうとう甲子園(春のセンバツ高校野球大会)まで中止です。「ちょっと待ってよ〜!」って感じです。高校野球ファンとして言わせてもらいますけど、春のセンバツに出場するのって大変なんですよ!!県大会で勝って地方大会でか勝たなきゃ出れないんだから。。。

甲子園に出れるチャンスなんて高校三年間で夏三回、春二回の五回しかない。しかもトーナメントだから実力があるチームが必ず勝つとは言い切れないんです。しかも甲子園に出るような学校はレギュラーの入れ替わりも激しいと思います。今日レギュラーだから明日もレギュラーとは限らないし、今日ベンチに入れたから明日もベンチに入れるとは限らないんです。彼らはただ甲子園に出る事に高校の三年間を生きています。それに全てを捧げているんです。三年間血反吐を吐くような努力をしてようやくレギュラーになれた人もいたと思います。それを得体の知れないウイルスなんかで中止にされた日には、もう憤りも甚だしいと思います。

 

感染したら絶対死ぬって言うんなら分かります。でも今回の新型コロナは致死率は約2%です。そのほとんどが高齢者や持病がある人です。確かにヨーロッパ圏では死者が多いですが、それは高齢者や持病のある人への感染率が高いからです。健康で体力がある若年層は風邪と同等の症状で終わるケースがほとんどです。これぐらいのウイルスなら、大人たちが万全な対策をとれば、中止にする必要もないのではないかと思います。一生にそう何回も何回もくるわけではない甲子園で野球ができるチャンスをせっかく掴めたのだから、「ようがんばったな!よっしゃ、よっしゃ、おっちゃんらが何とかしてやろ!任しとき!!」くらいな心意気でやってあげてもいいんじゃないでしょうか?こんな時こそ大人の出番だと思います。こんな時に大人の都合で意外とあっさり中止なんかにするから子供たちに「肝心な時に大人は何もしてくれない」って言われるんです。

 

今回の新型コロナウイルス騒動で僕が感じるのは、多くの人たちは生きる為に生きているという事です。確かに命は大切なのでしょう。しかし人はいつまでも生きてはいられません。だからこそ命は尊いのです。いつまで生きられるか分からない、だからこそ今できる事、今夢中になれる事に全力を尽くす。それが生きるって事じゃないんですか?命が大切だから、これもダメ、あれもダメ。そんな人生楽しいですか?交通事故に遭う可能性が約2%だったら車を運転しないんですか?墜落する可能性が約2%だったら飛行機に乗らないんですか?失敗する可能性が約2%の手術はしないんですか?そんな事を言い出したら何もできないし、何の為に生まれてきたのかも分からないですよね。生きていくって事はリスクを伴いますよ。そして何より人間は必ず死にます。それがどんな形になるかも選べないし、何が原因になるかも選べないです。でもどんな生き方をするかは選べます。リスクを恐れて幅を狭める人生はきっと窮屈な人生になると思います。リスクと向き合ってでも恐れずに人生を謳歌できる人間で僕はありたいです。

 

あくまで個人の価値観です。

 

ご拝読ありがとうございました。