離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

あるといえばある。ないといえばない。

皆さんこんにちは!!

 

今回の考察は ズバリ、神様の存在です。

 

神様っていますか?って質問されたら皆さんどう答えますか?

 

僕は、僕の世界にはいますがあなたの世界にいるかはわかりません。と答えようと思います。

 

おやさま 

 

あるといえばある。ないといえばない。願う心の誠から、見える利益が神の姿やで

 

とお答えになられたそうです。

 

庄屋敷の生き神様 て言われた方なのになんだか曖昧な答えだなぁと思わないですか?

 

でもこの言葉、実は凄く深いんじゃないかと僕は思います。なのでこの言葉の真意を考察したいと思います。

 

あるといえばある。ないといえばない。

 

僕はこの言葉は 認識 を意味していると考えます。ある と認識している世界にはある。ない と認識している世界にはない。という解釈です。

 

願う心の誠から

 

 

まず 誠 の言葉の意味は

 

言葉や行いにつくりごとがない。真実の心。まこと。

 

だそうです。

 

 

この言葉の意味から考察すると、純粋な心で願う という事になると思います。

 

僕は人間の世界は 認識 で回っていると思っています。認識は 思考 が創り出します。純粋な心 とは混じりっ気のない 思考 、つまり強い 思い込み だと解釈します。

 

見える利益が神の姿やで

 

これは 現実 に起こってくる事象を意味していると思います。つまり、人間の思考 の関与しない事象です。

 

つまり、この言葉の意味は、

 

認識したものを強く思い込む事により、それが現実に起こってくる。

 

という事だと解釈します。

 

言い換えれば、認識 できない事又は 認識 しようとしない事は 現実 に起こらないという事です。

 

ある方が Twitter でこんな質問をされていました。

 

あると思う事が理想なのですかね?無いと思う事が理想なのですかね?

それとも、

どちらも、正解なんですかね?

 

僕は、理想 とか 正解 の問題ではないと思います。この答えに込められた おやさま の思いは、あんたはどっちにする? だと思います。

 

この言葉は  存在の有無 を提示しているのではなく、選択肢 を提示しているのではないでしょうか。だから言い回しが 曖昧 に感じてしまうんだと思います。

 

つまり、人間の世界は 選択 によって変わるという事も言われているのだと思います。

 

おやさま の言葉の凄さは凄く深みのある内容をシンプルな言葉でサラッと表現してしまうところだと思います。お道の教え を突き詰めていくほどにその言葉の鮮やかさに気づく事ができると考えます。

 

まさに 神様の言葉 、僕はそう感じます。

 

ご拝読ありがとうございました。