離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

三代真柱様の見解について思うこと。

皆さんこんにちは!!

 

今回は、ほこりまみれの信仰者 こーせー さんの note を読んでの感想を綴ります。

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https://note.com/hokorimamire/n/n7ca593773633

 

最近、Twitter で 理の親 論争が勃発しているみたいですね。僕が思うにその火種を投下したのは こーせー さんではないかと思います。

(あくまで個人の推察です。)

 

煽っているのは、教団批判をしている人たちだと思いますが。。。 

 

因みに こーせーさんの note はとても良い内容なのでぜひ読んでみてください。

 

(貼り付けられていた note の記事は僕は嫌いですが。。。)

 

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https://note.com/hokorimamire/n/n1506e4843b58

 

 

 

因みに僕も 理の親 についての私見をブログに綴っていますので興味のある方は読んでみてください。

 

今回は こーせー さんの note に引用されている 昭和47年3月号 の みちのとも に掲載された、三代真柱様の 少年会年頭幹部会におけるお話 において、三代真柱様が示された、信仰的 親 についての見解に対する僕の私見を綴ります。

 

一部抜粋します。

 

 これは信仰上考えましても、親神様のお与え、親神様の御守護というものは、私達の真実の量によって変わってくるのであります。勤める理によって徳を頂くのであります。これは信仰的に考えた場合でありますが、やがて子供が段々大きくなって親になって参りますと、与える立場をも併せ持つということになるのであります。それなら親になったから与えるばかりかといえば、やっぱり求めることも人間である以上、これは終生考えると思うのであります。これはいったい何を意味するのか。そこで私の辿り着いたことは親と言う言葉で言い現されるお方は、親神様以外にはおられないということなのであります。親という言葉で意味するお方は、教祖以外におられないのであります。
私は六人の子持ちであります。六人の子供の親父であります。その上道の上では教えにつながる人々の真柱という立場を頂いているのであります。しかしながら、私とて人間であります。親神様の思し召しに近付くように、日夜身も心も治める努力をしているのであります。これはおそらく九十歳になっても百歳になってもどこまで生かして頂けるか分かりませんけれども、これでよしというようなことはないと思う。常に人の道、教えの道から外れた行いをしないようにと努力をしていることは、親に喜んで頂きたいが一途な気持ちなのであります。
 人間の努力に対して与えられるお方は、真実の親しかおられない。親とは親神様であり、教祖である。たとえ私達が六人の子供の親であると言う言葉のように、親と言う言葉を用いましても、それは親になってしまえというのではなく、私達の親は親神様・教祖以外におられないのです。私達がその言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。

 

このお言葉から 信仰的親 について三代真柱様の考えを理解しようとする時、親 とは与える立場のものという事になるのではないかと思います。そしてその 与える立場 に該当するのは、親神様おやさま しかおられないという見解だと僕は理解します。そしてその意味は人間が 信仰的親 の立場になってはいけないという事だと考えます。文の構成や表現はかなり柔らかな感じですが、僕はこの文章に 人間を信仰的に親と表現 する事への強い否定を感じます。

 

それは、例え自分自身が 親 という自覚がなくても、周りから 親 と認識される事により、自分でも無意識に 自分は親だ と勘違いしてしまう事への 警鐘 ではないかと思います。

 

これは、親 とか 理の親 とかと言う呼び方の問題ではなく、立場の認識 の問題であると思います。人間が信仰的に 与える立場 になれると認識するのか、なれないと認識するのか。

三代真柱様は信仰的には なれない と認識されていると理解します。僕も なれない と考えます。

 

理の親 は 親 とは違うという認識もあるようですが、この認識は僕は屁理屈だと思います。親 という言葉が使われている以上、理の親 とて 与える立場 という意味を孕む言葉であると僕は思います。

 

信仰において怖いのは、自分の立場の認識を見誤る事だと思います。理の親 という言葉で自分や周りの人生が狂ってしまった人は少なくはないと思います。僕はあまり軽々しく使うべき言葉ではないと考えます。

 

おしまい!!