離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

最低な人は本当に最低なのか?

皆さんこんにちは!!

 

今回は「最低な人は本当に最低なのか?」と題して、僕たちが日々の生活で 最低と認識 してしまう人は果たして、本当に 最低 なのか?を考察していきたいと思います。

 

人間は誰しも日々の生活における 人間関係 において、苦手や嫌い、最低と 認識 してしまう人の1人や2人、いるものではないでしょう?

 

理由は様々でしょうが、関係性としては、例えば、世間では 年長者、会社では上司や先輩、家族では、祖父母(舅、姑)、両親、兄、姉 などの 社会的序列が上の者 がその対象となる 傾向 が高いのではないかと思います。

 

確かに、本質的に 最低な人 はいるのかもしません。しかしそんな人は稀だと思います。何故なら人間には、全ての人間が互いにたすけあい仲良くしあわせに暮らす為 の遺伝子が組み込まれているからです。よってもし、本質的に最低な人がいるとするならそれは イレギュラー的 に生まれた 希少種 です。

 

現在の世界人口が約 77億人。その中で1人の人間が一生のうちに親い関係性になるのは 統計的 に 約 0.000004% だそうです。その中に 希少種 が入る確率はもうほぼ皆無と言っても過言ではないです。もし、あなたの周りにそんな 希少種 がいるなら、ある意味それは あなたが引き寄せた と考えるべきかもしれません。

 

僕たち人間は 認識 により自分で創り出した世界で生きています。その認識は 過去の経験 により構築されます。つまり、苦手や嫌い、最低と認識しているのは 過去 にその認識対象との関係性において何らかの トラブル や 関係性を悪くする事象 が起こっているはずです。そう考えると、苦手や嫌い、最低な人は、実はそんな人なのではなく、自分がそう 思い込んでいるだけ であるといえます。

 

例をいくつか上げて説明します。

 

A氏という サラリーマン がいます。A氏は、同じような失敗をよくします。上司のB氏は最初は優しく注意していました。しかし、何度も同じような失敗をするA氏に徐々にイライラしていき、注意する口調が厳しくなりました。A氏はそんな上司のB氏が苦手になり、友達に自分の上司は最低だと愚痴を言います。

 

B氏は本当に最低なのでしょうか?

 

 

Cさんという女性がいます。Cさんは結婚していて姑 Dさんと同居です。Dさんは凄く真面目で几帳面な性格です。Cさんはどちらかと言うとズボラな性格です。DさんはCさんの家事をこなす様子を見て、「こうすればもっと良くなるのに。」と思う事があり、よくCさんに気づいた事伝えます。しかし、Cさんはそれが鬱陶しく感じています。そしてママ友に 最悪な姑 と愚痴を言います。

 

Dさんは本当に最悪な姑なのでしょうか?

 

 

G氏というサラリーマンがいます。G氏にはM氏という上司がいます。M氏は的確な指示をくれる上司で、G氏は自分の仕事において、M氏の指示にかなり助けられています。しかし、M氏はかなり話し方が横柄です。なのでG氏はM氏が苦手です。そして家族に悪い上司と愚痴を言います。

 

M氏は本当に悪い上司なのでしょうか?

 

 

 

要はどこに フォーカス するかです。最初の例では、A氏はB氏の 厳しい口調で注意してくる事 にフォーカスした結果、最低な上司 という認識になりました。しかし、実際、厳しい口調になった原因は A氏の何度も同じような失敗をする事 にあります。この事に気づき改善に取り組んでいたなら関係性は崩れる事は無かったのではないでしょうか?

 

2番目の例にしても、よく注意をしてくる事 にフォーカスした結果、最悪な姑 という認識になりましたが、こうすればもっと良くなるのに と思う姑さんの心にフォーカスできたなら、関係性は良いものになっていたと思います。

 

最後の例では、話し方がかなり横柄 という事にフォーカスした結果、悪い上司 という認識になりました。しかし、かなり的確な指示をしてくれる事 にフォーカスできたなら、寧ろ 良い上司 という認識になるのではないでしょうか?確かに 話し方が横柄 というのはいただけないですが、それは コミニュケーション においての能力の問題であり、能力がない= 最低 にならないと思います。

 

人は誰しも自分の現状の能力以上の事はできません。能力を上げる為にはそれなりの努力が必要です。自分の人生においての人間関係の中で自分の裁量により能力を上げる事ができる人物は 自分 以外いません。つまり、他人の能力を自分の裁量で上げる事は不可能です。よってその事をいくら悩んでも解決しません。

 

人間誰しも 良いところ、悪いところ を持っています。良いところをフォーカスされれば 良い人 になるし、悪いところを フォーカス されれば 悪い人 になります。その 認識 は認識する人の 思考 により変わります。そして良い人として認識した人は現実的に良い人に、悪い人と認識した人は現実的に悪い人になっていきます。何故なら、良い人と認識した人には、その人に対し自分が良い対応をするし、悪い人と認識した人には、その人に対し自分が悪い対応をするからです。良い対応には良い対応が、悪い対応には悪い対応が返ってきます。そしてその原因は自分の 認識 です。

 

 他者を 苦手、嫌い、最低 などの ネガティブ な認識をしてしまう原因は十中八九自分自身の 怠惰感 であると思います。自分自身の人生をよくする為の努力をしようとせず、それにより生じる 人生の質 を下げる事象を他者のせいにしてしまう。要は 我儘 なのです。

 

もちろん自分に何ら落ち度がないにも関わらなず、巻き込まれる形で 人生の質 が落ちてしまうケースもあります。しかし、その場合においても 自分の選択 により状況は変えられます。

 

自分の人生を生きているのは自分です。そして自分の人生を良きものにできるのも自分しかいません。サボったらサボっただけの人生になります。サボって良き人生にしようとするのはただの 我儘 です。そして おやさま はこの 我儘な心 を 八つの埃 としてお説きくだされています。八つの埃は自分の人生を良きものにしたいのであれば サボるな!! というメッセージなのかもしれません。

 

自分自身日々、サボる事無く、自分の人生を良きものにする努力に励みたいと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。