離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

アイデンティティについて思う事!!

皆さんこんにちは!!

 

今回は、アイデンティティについて、僕が思う事を綴ります。

 

よろしくお願いします。

 

僕は、人間それぞれに この世に存在している意味 があると思っています。どんな境遇や環境にあっても、人間には必ず存在意義があります。

 

勿論、それは、誰も教えてくれないから、自分で模索し、認識する事なのですが、その模索し、認識する作業で要(かなめ)となる要素は、【アイデンティティ】ではないかと思うのです。

 

自分が何処から来たのか?自分という人間が誕生し、存在する事になった命の系図を知る事はとても大切であると思います。

 

 

僕たちは、ある日突然、この世に現れたわけではありません。何千年、何万年、何億年という、命の営みと繋がりの果てに存在できています。まずその事を深く理解しなければならないと思うんです。そしてその繋がりを強く意識する時、自分たちが 何を成し得る為に存在しているのか? ということに思いを馳せる事ができるのではないかと思うんです。

 

現代日本人は、アイデンティティを求めない人たちが多いと感じます。そんな事を考えなくても何不自由なく生きていけるし、考えない方が楽だからだと思います。

 

しかし、自分という人間がこの世に存在する事となった、経緯を知らずして、自分という存在に価値を見い出す事は不可能ではないか思うんです。

 

現代社会で生きている人間が、どこか 生きることに空虚さ を感じているように見えるのは、そういうところを 蔑ろ にしているという側面もあるのではないでしょうか?

 

現代社会は、個人の自由や権利を過剰に尊重する傾向が強いと感じます。確かにそれは、とても大切な事であるけど、忘れてはならないのは、人間は人間お互いの繋がりの間で生まれ育まれるという大前提があり、それが無ければ、自由も権利も所有できないし、主張できないという事です。

 

人間、1人の一生は生きても100年余りだと思います。身体が自分のイメージ通り動かせる期間は必然的にそれより、短くなるわけですから、生きている間にできる事なんて本当にたかが知れています。

 

人間は、歴史の中で高度に発達した文明と発展した文化を築いてきたし、それは今も続いているけれど、これらの進歩は、人間が一代では到底成し得る事のできない事です。だからこそ、僕たちの祖先は、託す という形で後人(こうじん)に繋ぎ続けました。だからこそ、現代社会は、こんなにも高度で豊かな社会を築けています。そしてそれは、これからも続いていくのでしょう。

 

ものや技術を残し託す。それはとても大切であり、世界の進歩には欠かす事のできない要素であると思うけど、それだけじゃあ足りないと僕は思うんです。

 

何故、そのものや技術が創造されたのか?を考える時、そこには、後の世をより良きものにしたい。という 精神や意志 があったと思うんです。それは、後人たちへの 思いやり であったとも思います。そして もの技術 と共にその 精神意志 を託し、引き継ぎ、繋げてきたからこその現代だと思うんです。人間は本来、精神や意志の繋がりによって生きていくものではないでしょうか?

 

現代は、歴史上最も繋がりの気薄な時代なのではないかと感じます。それは、個人の人生を重んじるが故に生じた事であると思います。確かに何のしがらみもなく生きていく事は、楽なのかもしれません。しかし、その生き方はあまりにも刹那的で、寂しい生き方であるのではないでしょうか?その先に明るい未来はあるのでしょうか?

 

僕は、人間はしあわせになる為に生まれ、存在していると思っているけれど、それはただ、個人がしあわせになればいいという事ではないとも理解しています。僕たちの今のしあわせは、先人たちの 後人の世がより良くなってほしい という 意志精神 の上に成り立っているものだと僕は思うのです。ならば、僕たちもそういう 意志精神 で生きていくべきではないかと思うんです。

 

その為にも、自分という人間がどういう経緯でこの世に誕生し、先人がその中で何を考え、繋ぎたかったのか?そういう意志や精神に思いを馳せる事は大切であると思うし、その中で自分が為すべき事を得る事ができるのではないかと思うんです。

 

僕たち人間、1人1人の人生は確かに個人のものであるし、自由であるけど、その人生は先人たちの数多の命の繋がりの中で営まれているという事は紛れも無い現実であるし、その中で生きている以上、僕たちは受け継いでいかなければならないし、繋げていかないければならないと思うし、それが、ある意味 使命 なのではないかと思ったりもします。

 

人間は本当に儚い存在であると思います。天下布武 を掲げ、志し半ばでその人生の幕を閉じる事となった戦国時代の武将、織田信長 は生前、【敦盛】という舞を好んでよく舞っていたそうですが、その中には、人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり という一節があります。

 

何か大きな志しを成すには、人生はあまりにも短いです。だからこそ人は、その志しや精神をものや技術と共に残し、託してきた。

つまり現代社会は、先人たちの自分ではない他の誰かのしあわせを願う精神の結晶とも言えるのではないでしょうか。

 

 

 

現代人はしがらみを嫌うけれど、しがらみこそ繋がりだし、繋がりの中でしか自分の存在意義は見い出せないと僕は思っています。その中で、先人の求めたものに思いを馳せて、受け継ぎ、それを自分の中で新たな形に昇華して、後人に繋いでいく。

 

俳人 松尾芭蕉 はこんな言葉を残しています。

 

先人の後を追うな。先人の求めたものを求めよ。

 

 

大切なのは、形を継承する事ではなく、その形に込められた 本質 を継承していく事だと思います。そしてそれは、精神 とか 思想 とか 志し のような抽象的なものになると思います。

 

抽象的である故に、分かりにくく、結果 継承=形を残す事 と認識してしまいがちになりますが、それでは 進歩 という要素が欠けるのではないかと思います。

 

時代の流れの中で全く形を変化させないということは不可能であると思うし、寧ろ形は変えるべきだと僕は思うんです。精神や思想、志しを継承する事と形を残す事は違います。時代が変わればニーズも変わります。そのニーズに対応した形を模索し、新たな形へと昇華していく事こそ、僕は 継承 であると思います。そこに宿るのは、受け継いだ 精神や思想、志し であり、その本質は より良く未来を創造する という 自分以外の誰かのしあわせ を願う 思いやり だと思うんです。

 

形ややり方にこだわらず、そこに込められた 本質 を理解し、継承し、託していけば、世界はもっと高度で豊かになれると思います。ただ上部だけを見て、時代遅れと切り捨てるんじゃなくて、その中に隠されたものを見抜き、掴み取る為に、アイデンティティを探求していく事は必要不可欠だと思います。

 

 

今回は、アイデンティティについて僕が思う事をシェアさせてもらいました。
未来の世界を創造するのは、その時代の人たちであるけれど、その土台を創ってあげられるのは現代に生きる僕たちです。先人たちの築かれた土台があればこその現代だと思います。それは、未来を良きものにしたいという先人たちの精神や意志があり、託し、受け継ぐという繋がりがあったればこそ成ってきた姿だと僕は思います。

 

未来をより良きものとする為に、自分自身のアイデンティティを探求し、その中で先人たちが何を求め、後人に託そうとしたのかを知り、その精神や意志をしっかりと継承し、それを更に自分の中で昇華して次の世代に残し、託していくというサイクルは、無くてはならないものなんじゃないかと思います。僕たちのしあわせの本質は、今を生きる自分、個人の求めるしあわせではなくて、時代の流れの中で、託され、継承されていくものの中にこそあると僕は思います。

 

今回は、以上です。

 

ありがとうございました。