離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

失敗+ストレス=成長

皆さんこんにちは!!

 

今回は、「失敗とストレスと成長」の関係性 について考察したいと思います。

 

生きていく中で 後悔 の念にかられる事は、誰しも多かれ少なかれあるのではないでしょうか?それは、失敗した という意識が呼び起こしている感情ではないかと思います。

 

順風満帆、何の問題もなく、今まで生きてこられたと自信満々に言える人は本当に稀だろうと思います。

 

後悔 とは決断するからこそ生じるものであり、人生は決断の連続。そう考えると 後悔 は人生には付きものなのではないかとも思えます。

 

失敗したという過去は、どうしようと変えられませんよね。ならば僕たちは、その失敗を糧として 成長 する事しかできないし、それにより より良き未来 を拓けていけると思うんです。

 

その為には、自分とその失敗の原因の関係を解明して改善する作業が必要になると思います。

 

心理学では、失敗の捉え方によって人は 自罰型、他罰型、無罰型 の3種類の 性格 にカテゴライズできるそうです。

 

自罰型 は、失敗を自分のせいだと思い込んで必要以上に落ち込むタイプ。

 

他罰型 は、失敗を他人のせいにして責任転嫁をするタイプ。

 

無罰型 は、失敗を誰のせいにもせずにその辻褄を合わせるタイプ。

 

失敗 を自分の成長の糧とするには、自分の 責任 を自覚し認める必要があります。そう考えると 他罰型 や 無罰型 は 自責 を自覚できない性格ですから、自覚できる性格に改善する必要があると思います。そう考えると 自罰型 は 自責 を自覚するというベースが性格に組み込まれてわけだから、目指すべきは 自罰型 だと思います。しかし、自罰型 は失敗を自分のせいにする事で、安心 してしまい 原因 を解明する作業をしないからただ 漠然と自分のせい と思い、結果自分はダメな人間、役立たず、存在する意味がないと思い込み、自信を失って生きていく活力も低下してしまう可能性があるんです。

 

そうならない為に、物事 が成ってくる仕組みをまず理解する必要があると思います。

 

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心理学の 自罰型、他罰型、無罰型 という考え方に当てはめると、上図のような関係性が成り立つのではないかと思います。この世で起こってくる事(結果)は、自分の関与した部分の影響はもちろんあると思いますが、それだけで全てが決まるというわけでもないと僕は思っているんです。自分の関与した部分(自責)と他者が関与した部分(他責)と第三の力(運とかツキ)が関与した部分の交わるところが世の中に現れてくる姿だと僕は考えています。

 

もっとザックリ分けると、この世で起こる物事は自分の関与した部分とそれ以外の力が関与した部分が交わって起こってきていると思っています。

 

なので、起こってきた結果が 失敗(と認識できる物事)であったとしても、それは自分 だけ のせいではなく、いろんな要因が関与して成ってきた事であるので、必要以上に落ち込む必要はないんですよね。その失敗から自分の関与した部分における結果の原因を解明し、次に生かすことが、自分を成長させ、より良い未来を拓く為には大切であり、必要な事だと思うんです。

 

しかし、誰しも自分の関与した部分において 失敗 した原因を解明するのは、自分の無能さを白日の下に晒す事になるので嫌です。だから、有耶無耶にしたり、他人のせいにしたり、誰のせいでもないという事にして、それを避けようとしますが、それではいつまで経っても 成長 は望めません。

 

失敗の原因と向き合うには、勇気が必要だし、それにより ストレス を感じる事もあります。それは凄くパワーを使う事です。でもそれは、自分の 成長 には必要な事です。もし、自分を今より 成長 させたいと思っているなら、避けられない事だと思います。

 

天理教 では 神に凭れる という言葉がありますが、この言葉を拡大解釈して、自分は何もしなくていい と思っている人が比較的多いです。

今回の新型コロナウイルスにしても、感染は神様のなさる事だから と言って対策を何も講じない人の話をちょくちょく聞きましたが、僕はそれは違うと思います。そもそもこの世で起こる事は神様がなさっている事ではなく、人間の心(精神)が映し出されているだけです。人間がその物事が起こるような心で日々を過ごしているから、そうなる 理(法則)が働いて、起こってくるのだと僕は思っています。

 

今回のコロナウイルスにしても、行動が制限されるような状況に陥ったのは、人間の周りの事を考えず、慎みを知らない自分勝手な行動を戒める為に、そういう状況になるような事態が起こってきたのだと僕は思います。

 

全ては 陽気ぐらし をさせたいという親心からの 導き であるのに、それを 神様がなさる事だから仕方ない と思ってしまっては何の 成長(成人)もありません。自分の感染だけにフォーカスするのではなく、周りに 感染させない 事にフォーカスをした行動が今は求められているのだと思います。

 

自分の心や言動(自責)と向き合い、改善できるところを解明し、改善する事に尽力し、その結果は神様にお任せする(他責)というスタンスが本来の 天理教の信仰者 のスタンスではないかと思います。

 

 

話しがそれてしまいました。(テヘペロ

 

現代人はストレスに過剰です。ストレスを人生を駄目にしてしまうものと認識してできるだけ 排除 しようとしますが、ストレスを全く感じない生き方に 成長 はないと思います。もちろん感じ過ぎるのも考えものですが、多少のストレスは必要なのではないでしょうか? 

 

この世界で変えられるのは自分の関与できる部分だけです。より良い未来を拓く為には、自分の関与できる部分においてベストを尽くす事が必須であるし、ベストを尽くす為には成長は必要で、成長にはストレスが付きものなんだと思います。失敗を失敗のままで終わらせず、成長の糧とする為に、それにおける自責を自覚し、その原因を解明し、向き合い改善する事が豊かな人生を築く為には必要なのだと思います。

 

失敗+ストレス=成長

 

これが僕の 未来を切り拓く方程式 です。

 

おしまい!