離島の働く教会長の備忘録

天理教の信仰ブログです。

伏せ込みに関する私的見解!!

皆さんこんにちは!!

 

今回は、伏せ込みについての私的見解を備忘録として綴ります。これはあくまで私的見解であり、これが正しいと主張するものではないか事を御了承の上お読み下さい。

 

それではよろしくお願いします。

 

天理教の教語と呼ばれるものには、同じようなシチュエーションで使われる全く違う言葉というのが多くあります。その中で徳積み、理づくり、伏せ込みは比較的代表的なものでしょう。

 

何を基準にこれらの言葉を使い分けているのかは、非常に不明確で、強いて言うなら、個人の信仰的感覚に委ねられる場合が多い。故にこれらの言葉の違いを明確に説明できる人は恐らく少ないと思います。

 

徳積みおさしづや逸話、口伝でも主に徳を積むという表現でよく使われていて、社会的にも比較的よく使われる言葉であるから、比較的イメージしやすい言葉であると思います。

 

因みにという言葉は、ある国語辞典には

 

1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。「―が高い」「―を修める」→徳目
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。「―をさずかる」「―を施す」
3 ⇒得 (とく) 1
4 富。財産。

「―いかめしうなどあれば、…家の内もきらきらしく」〈源・東屋〉
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。

「鳥といっぱ、高く飛ぶをもってその―とす」〈仮・伊曽保・下〉

 

と説明されていました。

 

理づくりは出典が不明な言葉であり、おやさまがこの言葉を使われた形跡は僕が調べた限り今のところ無いです。少なくとも三原典には全く使われておらず、誰かが創った創作教語の可能性は高いと思います。よってこの言葉を使う意図やその言葉が持つ意味は、使う人の感覚によるところが全てだと思います。今のところはそう言わざる得ません。

 

伏せ込みは主におさしづで使われています。また天理教教祖傳逸話篇にもおやさま伏せ込みという言葉を使われている逸話があります。おさしづは断片的で完全にその意味を理解する事は難しいですが、使われている伏せ込みという言葉は、限定的に使われていて、主に、本席様を指していたり、その夫婦を指していたり、その家族を指していたり、又は宛てられている場合が多いようです。また明治三十一年五月九日の伺いのおさしづに出てくる伏せ込みは本席様は関係無さそうではありますが伏せ込みの前にしんばしらという言葉が使われていて、おそらく初代真柱様の事であると推察できます。この伏せ込みは、初代真柱様と関係がありそうです。

 

天理教教祖傳逸話篇 120「千に一つも」では、おやさま山澤為三氏に対して伏せ込みという言葉を使われています。

 

本席様、初代真柱様、山沢為三氏。

 

この三名の共通点はおやさまにオファーされて、お屋敷に住み込む事になっているという点です。ここに伏せ込みに込められた真意を紐解く鍵がありそうです。

 

天理教事典では、伏せ込みは次のように説明されています。

 

【伏せ込み】

 

種を蒔くときに、地面を掘って埋めるようにすること、 また、さつまいもやじゃがいもの種いもを埋めることを 「伏せ込む」と言う。鳥などが掘り起こして食べなければ、 旬が来て芽が出る。これと同じように人の善行も、すぐには現れないが、時が経てばその陰徳により幸いとして報いられる、と一般にも言われている。

「みかぐらうた」にやしきハかみのでんぢやでまいたるたねハみなはへる(み7:8)と教えられる。「おやしき」 には、信者が真実の種を蒔きに来るが、これを現在 「伏せ込み」 と呼んでいる。このお歌の 「やしき」 は、「おやしき」という意味のほかに、「親神·教祖 (おやさま)とともにある信仰の世界」 という意味ももっているので、広く信仰生活において、たとえ目に見える成果がなくても、真実を尽くしてたすけの御用をすることも「伏せ込み」と呼ばれている。人間は、花や実を求めるが、そのためには種をまき伏せ込むことが大切であるということを、 「伏せ込み」という言葉で教えられたのである。「おさしづ」においては、本席飯降伊蔵の場合にだけ「伏せ込み」 という言葉が使われている (さ30.8.14.31.5.9参照)。→お屋敷、 入り込み、屋敷

 

種を撒くという表現はみかぐらうたや逸話篇でも使われている表現ですが、この説明だと何故種を撒くという表現と伏せ込みという表現を使い分けられたのか?という疑問は残ってしまいます。

 

そこで伏せ込みの一般的な用法について調べてみると次のような事柄がヒットしました。

 

ふせ‐こみ 【 伏せ込み 】

 

グリーン‐アスパラガスやウド・ワラビなど、多年生の野菜や山菜などの根株を秋に掘り出し、温床(ハウス内)などに植え込んで萌芽を早める栽培方法。 また、それに用いる床。

 

僕はこちらの方がおやさまの使われた伏せ込みのイメージに近いのではないかと思います。

 

神様の用向きに使う為、より良い環境(お屋敷)に囲い(入り込ませ)、更なる成人を促す事が、伏せ込みなのではないかと思います。

 

ハウスでの栽培は歴史が古く、日本ではおよそ400年前、紙を利用して促成栽培を行ったところからはじまったといわれていて、明治時代になると海外からガラスの温室による栽培技術が入り、それまでの紙を用いた栽培方法と融合し、ペーパーハウスが生まれたそうです。

 

よって立教当時、この栽培方法は既に行われていたと思われ、おやさまがそれを比喩表現として使った可能性は十分に考えられると思います。

 

もしそうならこの場合の伏せ込みは行動ではなく状態で、現在使われている伏せ込みとは全く言葉の性質が異なる事になります。伏せ込み伏せ込む側伏せ込まれる側があって成り立つ状態であって、信仰においての伏せ込む側は神様(おやさまという事になると思います。故に限定的な使われ方をしているのだと推察します。

 

今回は伏せ込みについて思案を深めましたが、こういう言葉一つ一つに込められた真意や神意を理解しようとする事によって新たな視点から教えを眺める事ができて、信仰の世界観が広がるのではないかと思います。何が正しいとか間違っているとかではなくて、いろいろな解釈を受容して、教えの研鑽に励みたいと思います。

 

ありがとうございました。